わしの喪を三年間伏せよ!!
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徳川右近衛少将家康

当時の三年間で何が出来たでしょう?
信玄が信長に三年間天下統一を託した?!
これは考えにくいですね・・・。
では、三年間、風林火山の「山」のようにじっと力を蓄えつつ情報収集に勤め、
さらに後顧の患い(上杉、北条、信濃、甲斐及び周辺の国人衆など)をなくし、
その後京へ行け!というのは?
これは、自分がもっとも信じているものです。
理由は、信玄が誰よりも京へ上りたい!この信念を勝頼、
家臣が一番知っていました。
しかし、死ぬ間際、この勝頼と信長を比べた信玄は
勝頼に勝ち目は無いに等しいと考えるのではないでしょうか?信玄も人の親。
この将来を考えるのは下克上といえども考えたはず。
ただお家大事の世にあり、義信を幽閉したこと、
親父の信虎を追放した事もありますが勢力拡大の一途をたどる信長に
むやみに戦をしかければ苦戦するのは、死ぬ間際に決断したと思われます。
死を伏せる事は不可能に近いでしょうね。徳川の伊賀忍軍など
周辺大名には必ず少なからず忍者集団がいました。
ですから、今の実力では勝ち目は無い!ならばまずは足元を固めよ!
というほうが自然だと思われます。
ただ、その後は・・・天目山にて滅亡となるわけですが・・・。
英雄は英雄を知る!!信玄も信長の力を誰よりもしっていたのでしょう。

言うなれば、重量打線の巨人が信長、信玄は機動力野球の広島って感じです。





投稿本当にありがとうございました。