第三回大坂の陣
今川国氏
大阪冬の陣についてはNHK「堂々日本史」で見たかたが多いと思いますが
真田幸村などが主人公にして歴史解説をするんです
それでは私の意見をいわしてもらいます
豊臣秀吉がなくなった12年後ぐらいに豊臣家が浪人をあつめました
それで寺の鐘に
国家安康 君臣豊楽
とかいていました
それを理由に家康が大阪に兵を送り込みました
そのころ大坂では会議が開かれ
真田浪人集は外で戦うなどといわれましたが
大坂の家臣の大野が籠城戦といい籠城戦にきまりました
豊臣家は大坂城街の米を全部買い占め米の値段を高くし
家康らを飢え死にしようとしました
だが家康は大砲などを打って大坂に和議をむすぼうとしました
だが真田たちは「真田丸」というのを大坂城の外につくりました
家康の行動にあきれた武将たちは真田のゲリラ作戦にまんまとひっかかり
大規模だな死傷者をだしました
ですが大坂は和議を結び外堀や中掘りをうめました
これこそ家康の欲望でした
最後に家康が大坂をでるとき
「赤ん坊がのぼれるぐらい掘りを埋めよ」といって去って行きました
そのあとの和議のあとのはなしですが
家康は敵意がないのならば浪人を全員追放せいいってたそうです
そのあとですが淀はおこったんですね
それで淀を人質として差し出せ!とかもいってきたんですね
それで淀殿は掘りをうめるとは卑怯だ!などと家康を侮辱したらしいです
そのあとですが記録によりますと
10人ほどの鉄砲隊が大坂城にむけて発砲したらしいんです
それでそのあと夏の陣になるんですね
関東管領 真田昌幸
大坂の陣は夏・冬ともに真田幸村の独り舞台だったでしょう。
なぜならば真田丸なる出城を作り徳川の兵をたくさん倒しました。
さらに最後の突撃では家康を討ち取る(歴史の裏側で書きました)と言う
凄いことをなしとげました。
これから見るとやはり大坂の陣は真田幸村の独り舞台だったということです。
独眼龍 政宗
大阪の陣は家康のある一つの意思が見えると思うっす。
それは自分が生きているうちに豊臣に服す者など自分の幕府を脅かす存在を
倒す事、そして味方の大名の力をそぐ(膨大な遠征費で)だと思います。
その為、今までやらなかったようなこじつけなどで強引に
戦に持っていったが・・・内容は散々ですね・・・元々死に物狂いの軍に対し
これが終われば平和に暮らせると感じてきている軍では話になりません。
今まで引いたことのなかった三河の旗本までも幸村の特攻に
家康を置いて逃げ出すようじゃあなんともならないっす。
最終的には数などで押せましたが、ちょっとばかり
失態を見せる形になりましたね。
関東管領 真田昌幸
真田幸村は徳川の軍勢に決死の突撃をするところでした。
その時幸村は息子大助に何かを言いました。
そして大助は大阪城にもどっていってそこで切腹して果てました。
いったい何を言ったのか?本に書いてあったのは、もし大阪城が落城する時、
秀頼公が逃げようとするなら刺し違えろ。と言ったと書いてありました。
私の意見はその通りだと思います。
幸村が、息子を逃がすようなことはしないでしょうし。ただ単に大阪城に戻って
討死にするなら一緒に死ぬ方がいいと考えると思うからです。
蒲生郷舎
大阪の陣は、豊臣家の最後の戦である。この戦で豊臣家が滅亡するからである。
このときはもう徳川の時代である。家康からしてみると
自分が生きているうちになんとしても旧主豊臣家を滅ぼさなくては
ならなかった。最低でも豊臣家から力を奪わなくてはならなかっつた。
そこで、家康は、方広寺の鐘事件を起こし、豊臣家に三つの要求のうち
一つ実行するよう通告した。その三つとは、
一、 淀殿が人質として江戸に下る。
一、 秀頼が大名並に駿府、江戸に参勤する。
一、 秀頼が大阪を離れて他国に移る。
結果的にこれらの要求をしたことが大阪の陣につながつた。
さて、戦の中身に入ってみるとする。大阪の陣には、冬の陣と夏の陣があり、
豊臣家が滅亡したのは、夏の陣である。
冬の陣は、真田幸村の真田丸の活躍や、後藤又兵衛隊、木村重成隊の奮戦、
塙団右衛門の夜討ち等があり豊臣方も互角に戦った。
夏の陣は、三の丸、二の丸も壊平され裸城になった大阪城から出て
野戦で戦った豊臣方。しかし、圧倒的な兵の数で家康の宣言どおり
三日で落城。後藤又兵衛の討ち死に、薄田隼人の奮死、塙団右衛門の命令違反、
そして戦死。木村重成の討ち死に、長曾我部盛親の藤堂高虎隊との
互角以上の戦い、毛利勝永の奮戦、そして、大阪城での死、真田幸村の大活躍、
そして討ち死に等があった。
私的には、大野治長と淀殿の存在さえなければ、もう少し戦えたと思っている。
家康の頭のきれることがより証明された感じがする。
なんとか豊臣家勝利の作戦を考えているがどうしても思いつかない。
やはりこれは、徳川家勝利の戦なのだろうか?
今回豊臣家を中心に書いたことをお詫び申し上げます。
投稿本当にどうもありがとうございました。
戻る