第二十回(岩剣城の戦い)

島津家軍師

1554年
南九州で発生した合戦。
島津義久、義弘、歳久の兄弟が祁答院良重の守る
岩剣城(鹿児島県姶良郡姶良町付近)を攻めた。
彼らにとってはこれが初陣であった。
この城は天然の要害であり、
兄弟の誰かが死なないと落とせないとまで言われた。
祁答院軍は島津軍の攻撃によく耐えたが、
援軍に来た蒲生範清が撃退されると完全に孤立無援となり、
女性が化粧道具を投げるほど切羽詰った状況になった。
そして遂に良重は城を捨てて逃亡。
残された女達は城の断崖から身投げして自殺し、
岩剣城は陥落。
城代は島津義弘に任されたが、あまりに交通が不便なので、
麓に平松館を築いてそこに住んだ。

島津、祁答院の両軍が鉄砲を使用し、
日本で最初に鉄砲が実戦に使われた城である。





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