第十七回(戸石城の戦い)
遅馬
今回は真田幸隆が攻め落としたほうでは無く、最初に起こったほうを
取り上げます。
まずこの戦いが行われた年は「甲陽軍艦」によると1546年と
いわれていますがこれは誤りです。信玄・義清の動きからして1550年が
妥当と思われます。
武田軍が戸石城に突入したのは9月9日夕刻と言われています。
以来8日にもわたって死闘が続けられました。
しかし、村上義清が場内を脱出して武田軍の背後から奇襲しました。
これによって武田軍は総崩れとなり大敗北を喫しました。
また「甲陽軍艦」に「武田軍が大敗に及ぶところを山本勘助の智謀によって
大利を得た」とありますが、これは創作と言われています。
また戸石城は翌年5月に真田幸隆に攻め落とされました。
投稿本当にどうもありがとうございました。
戻る