朝鮮出兵?朝鮮討伐?
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今川 国氏

昔の教科書には豊臣秀吉の朝鮮侵略を、朝鮮出兵とかいていましたが
いまでは、韓国に天皇陛下が訪問することになったみたいで
韓国から「出兵じゃなくて、侵略だ!」
などといって
近ごろ教科書に「朝鮮討伐」などとかいておられる
というより、侵略のほうがよいとおもわれる
日本は明、朝鮮と戦ったから
「日朝明戦争」のほうがよいとおもうのだが?
この問題いつかたずくのか・・


筑前守ツヨシ

記憶違いなら申し訳ないが、僕の記憶では今川国氏殿の投稿とは少し違う。
それは韓国の方が道徳の講演で私の通っていた学校に来た時、
彼女(金とゆう女性の方だったと思う)は韓国人の反日感情について
懇々と説明してくれた。その中にもちろん秀吉の朝鮮出兵のくだりもあって、
そこでは昔日本では<朝鮮出兵>を<朝鮮討伐>と言っていたと語ってました。
なんでも討伐とは「桃太郎が鬼の討伐に行く」のように
正義が悪を討つとニュアンスがあるそうで。
(まさか、韓国の人に日本語を教わるとは思わなかったが・・・。)
確かに言われてみればその通り。また調べると討伐から出兵に変えても
納得がいかないらしく、今川国氏殿の投稿にあるように
「侵略だ!!」といってるそうだ。あと韓国では<朝鮮出兵>を
<壬辰(丁酉)の倭乱>と呼ぶ。だから<朝鮮討伐>→<朝鮮出兵>となり、
もしかすると<朝鮮討伐>か
<壬辰(丁酉)の倭乱>になっていくかもしれない。
しかしそれはこの問題が片付くまでわからない。
長くなったが、僕の意見は秀吉は好きだが<朝鮮出兵>に関しては
弁解の余地がないし、韓国と仲良くして欲しいので
韓国側の意見を聞くべきだと思う。
<壬辰(丁酉)の倭乱>はちょっといやだが・・・

日光山

基本的には、両方とも間違いである。
朝鮮侵略は、もともと「唐御陣」であり、
朝鮮を支配しようと侵略したわけではない。
「仮道入明」、明に入るために朝鮮を通るので協力してほしいと、
朝鮮に働きかけたが断られた為、まずは朝鮮をという事に成ったわけです。
朝鮮こそいい面の皮ですが、秀吉という独裁者の為大変な目にあったわけです。
その為、鶏林八道には「千里蕭然、天愁い地惨たり」という
光景が出現したわけです。
朝鮮で最初快進撃した頃、秀吉は以下のことを独り決めしている。
 「五月中には、秀吉みずから海を越えて京城に乗り込む事」
 「本年中には、秀吉みずから北京へ乗り込むこと」
 「明年中には、関白秀次を以って大唐の関白となすべきこと」
 「明後年中には、天皇に北京へ遷幸願う事」
 「朝鮮大明征服のあかつきは、皇室、宮家、公卿、大名にすべて所領を分配
 する事」
 「印度は、秀吉の命を待たず諸部隊の切り取り勝手にすべき事」
これを見ても、秀吉が独裁者である事が解るでしょう。
朝鮮では、秀吉と伊藤博文の評判はひどく悪い。
対して、家康は豊臣家を滅ぼしたことですごく評判が良い。
日本と正反対です。
私の結論としては、まず朝鮮ではなく明を征服しようとしていた事を
記述すべきということです。
そうでないと、本質が見えてこないからです。

筑前守ツヨシ

日光山殿、ご指摘ありがとうございます。
本当にその通りだと思いました。
ただ、僕は<言い方ひとつでもかえていこうとしなければ、
韓国の反日感情はなくならないという私感>と
<昔日本の教科書には朝鮮討伐と書かれていたが、
今は朝鮮侵略となったという要点>さえ
わかってもらえれば幸いです。
あと、前の投稿で(もしかすると<朝鮮討伐>)と書いたのは、
<朝鮮侵略>のまちがいでした。すいません。
今回は日光山殿への感謝と前の投稿の書き方の悪さで伝わらないことが
あったのではという不安で投稿しました。
次からは日光山殿や他の方たちのご指摘をいかして
もう少しくらいうまく書くよう努力していきます。

RON

結局、敗退しているんだから、朝鮮出兵がいいと思いますよ。
もしくは日朝戦争とか。

討伐なんてのは、論外ですが、壬辰(丁酉)の倭乱ってのも、
韓国(朝鮮)側の妙な優越感の現れだと思います。
(「乱」ってことは、部下が主君に背いてるという
ニュアンスが感じられます。つまり、
倭が反乱したから「倭乱」なんでしょうね)

しかし、刀伊の乱の様に我国でも、外国の侵攻を乱と表現する場合があるので
そう言ったものは順次直していくべきだと思いますが。

結局は、被害を受けた側がどう考えるかで、
事実が歪んでしまうということが
世の中結構多いということではないでしょうか?





投稿本当にありがとうございました。