戦国時代の「大砲(大筒)」について
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濱野意忠
大砲が火を噴き、城や敵陣が破壊される光景を皆さんは、
どこかでご覧になったことはないでしょうか?
大砲(大筒)のイメージとして「大口径」の射出口から発射された弾丸が着弾して
「爆発」する・・・。そう、あれです。
戦国時代においての大砲(大筒)の実態は一体どうなのでしょう。
戦国時代末期「大阪冬の陣」で、淀殿のいる櫓を破壊し、
女中が死亡した有名な実例でご紹介します。
まず、大砲(大筒)のサイズですが、家康公が
堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門に命じて造らせたのが「芝辻砲」と言われる
1貫500匁玉砲です。
砲身の全長3.13m、砲口部直径32.7cm、口径9.5cmというものでした。
「?」と思いませんか? 大砲(大筒)と言う割には随分と小さなものでした。
確かに砲身自体の直径が32.7cmと、ある程度納得はできますが、
口径9.5cmとは・・・。
事実、当時の鍛造技術ではかなりの「肉厚」の砲身でないと
危険があったわけですね。(大きな円の中心に小さな円がある様なもの)
弾丸のサイズは、直径9cm、重さ1貫100匁(4.1kg)の鉄球或いは鉛玉ですので、
それ自体が「爆発」して破壊や殺傷させることは絶対にできません。
射程距離の実態は不明ですが、前記の大阪城への砲撃は
700mの距離から撃ったとされていますので、
実際にはもう少し(あと2~300m位)は有効射程距離としてあったと思われます。
因みに、通常の鉄砲の弾は、6匁(22.5g)ですから、
大砲(大筒)といえばそうだったのかも知れません。
その様な訳で「直接」当った物体を破壊するか、
精神的にダメージを与えるか程度のものだった様です。
(それにしても9cmの穴・・・)
但し、一説によると、その弾丸を真っ赤になるまで焼いてから撃ち、
「火災」を起こさせることもあった様です。
皆さんのイメージを壊してしまう様ですが、これが大砲(大筒)の実態でした。
スミマセン。
投稿本当にありがとうございました。