徳川期の影が薄い・・・
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俵藤太(猫)

それがしが学生の頃まで住んでいた高槻にゆかりがある有名人は京本政樹、
ローリー寺西等がおりますが、一番の有名人はやはり高山右近です。
が、高山右近が高槻城を去った後の城主(領主)については
あまり語られておりません。
徳川期より幕末まで高槻藩は永井氏(信康の稚児、後に池田勝入斎の首を
挙げた永井伝八郎の家系のひとつ)が預かっておりましたが、
泰平の世のためか、はたまた高山右近のように「切支丹」という肩書きが
無かった為か、トンとエピソードを聞かずに育ちました。
どうも全国的に見ても、戦国期の領主ばかり脚光をあびて、
徳川期の領主の影が薄いような気がするのですが、皆さんの地元では
どんな感じでしょうか?
もしかしたら明治維新前後の反徳川体制政策の為に徳川期の記憶を
かき消されてしまったのでは・・・と考えたりもするのですが・・・。





投稿本当にありがとうございました。