関が原の真実
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日光山

管理人並びに、常連の皆様こんばんわ、久しぶりの日光山です。
本日は、超有名な関が原の戦いについて語りたいと思っています。
皆さんはこの戦いをどうとられているでしょうか?。
勿論、家康贔屓、三成贔屓どちらかによって見方が代わるだろうし、
その後の江戸時代に対する評価によっても変わるだろうと思う。

基本的には、石田VS徳川という対立式が成り立ちます。
しかし、兵力的には毛利VS徳川という対立式も成り立ちます。

私はいい加減、石田正義、徳川悪という図式は改めてほしいと思う。

なるほど、石田は豊臣家にとって忠実な官僚だったかも知りません。
その当時の日本全体の事を考えるとどうでしょう。

まったく無名の師の朝鮮との戦いで、あちこちにほころびを見せていました。

戦争バブルで成り上がった豊臣家は、戦争を通じて支配しようとしていた。
しかし、それは最終的に失敗に終わった。

失敗に終わって、その結果ありとあらゆる不平不満が噴出し、
それは政治的には決着は付かず、最後にそれは関が原の戦争で決着した。

戦争による支配は否定され、法治や天下普請、
軍役(参勤交代、お手伝い普請など)による支配に変わっていった。

結論として、関が原はそういうこれからどういう方法で治めるかによる
戦いではなかったか。

それだからこそ、西軍にかなり勝利のチャンスがありながら
敗れたのではないかと思う。





投稿本当にありがとうございました。