鎖国と開国
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赤城の御家人

徳川幕府は鎖国に踏み切るときは独断であったのに、
なぜ開国のときは開国の勅許を求めたのだろうか、
この一例が無ければ攘夷思想はともかく尊王思想は
あそこまで盛り上がらなかったのではないだろうか、
鎌倉以来幕府は外交面でも朝廷の意見など聞いていなかったのだから、
開国にしても幕府は勅許を求める必要はなかったのではないだろうか、
鎌倉以来の外交を見ても、執権北条時宗は元の使者(名前は忘れた、
確か趙なんとかだったとおもうが)を朝廷の許しも無く斬っているし、
足利義満も朝廷の許しも無く明の永楽帝に
親書を送っている(足利義満は日本国王と称している)、
江戸幕府でも吉宗の頃まで外交文書には
日本国王(それ以降は大君)としていたのだから、
外交も幕府の一存で出来たはず、それに江戸幕府が朝鮮通信使などの使節も
天皇にはほとんど拝謁せず江戸城で将軍に拝謁している、
この例を見ても幕府には従来の国政と軍事のほかに
外交の大権も付与されているはずなのである。
歴史にたら・ればは禁物だが外国との和親条約調印も幕府独断で行えば
もしかしたら西国大名の跳梁もある程度は
押さえることが出来たかもしれない。





投稿本当にありがとうございました。