宇喜多直家

島津家軍師

  浦上家に仕えた宇喜多家の嫡男。
祖父の能家が権力争いで同僚の島村盛実に殺されると、
父親の興家と共に居城を脱出した。まだ6歳の頃である。
豪商の阿部善定の庇護を受けて育ち、興家が亡くなると
浦上家に再び仕官する。乙子城の城主に任命され、
周辺の敵軍を寄せ付けなかった。
その功績から主君宗景の多大
な信頼を勝ち取り、家中で権力を増大させた。
この時から直家は野心を爆発させ、かつて
祖父を殺した仇敵盛実を謀殺。義父の中山備中守、
同僚の龍口城主も殺害した。
自分の領地である美作へ侵攻してきた三村家親を
遠藤又次郎、喜三郎兄弟に命じて暗殺。
その息子の三村元親が攻めてきた際は、
権謀術数を駆使して三村側の武将を次々に寝返らせ、
意図的に自領に招き寄せてから完膚なきまでに粉砕した
(明禅寺合戦)。
その後も彼の冷徹な暴走は続き、娘を嫁がせた
金川城主松田元賢、明禅寺合戦で自分に寝返った
岡山城主金光宗高を殺害。
完全に主家を凌駕する実力を持った直家は、
毛利家と結んで三村家を滅ぼし、
遂には宗景と争って追放した。羽柴秀吉が
中国地方に攻め込んでくると、秀吉に味方して毛利と敵対。
美作、備前地方で毛利軍と戦い、最期は岡山城で病死した。

尼子経久、毛利元就と共に中国地方の三大謀将と言われた。
仲間、身内、主君・・・あらゆる者達を利用し、
暗殺・謀略・裏切りを繰り返した男。

余談だが、そんな直家の息子秀家は
徳川家康の野望を打ち砕かんと石田三成に与し、
関ヶ原で福島正則を相手に孤軍奮闘した律義者である。





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