太田牛一
山名宗全
太田牛一 1527〜 ?
(おおた うしかず)
通称又助、和泉守。
資房とも言われるが、これは不確かである。
また普段は信定と名乗っていた。
はじめ柴田勝家の家臣であったが、弓術の技を認められて
信長の直臣となる。
1564年には堂洞城攻めの時、弓で大活躍し
信長より賞されている。
その後は主に内政面で活躍。
信長の死後は丹羽長秀、長重、豊臣秀吉、秀頼に仕える。
その愚直とも言われる性格で書きつづった著書
『信長公記(しんちょうこうき)』は、信長はもとより
戦国期の研究には欠かせない
当時の一級資料として知られる。
内容は全十六巻からなる信長の一代記である。
信長の都合の悪い部分はいくつか省略されているが、
事実をかなり詳細に記録されているとされる。
また牛一が『ぎゅういち』と読むのが通例となっているが、
晩年に『うしかず』と改めたとされる。
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