留守政景

山名宗全

 
留守政景 1549〜1607
(るす まさかげ)

伊達晴宗の三男。母は岩城左京大夫重隆の娘。

伊達家第十六代当主輝宗の弟。
伊達政宗の叔父に当たる。
始めは六郎、上野介、隠居名は雪斎。


留守顕宗が病弱であったため、1556年に留守家で
内乱が起こり(伊達家の威風)結局政景が跡を継ぐ。
1567年に高森城に入る。
伊達家の親族として、1585年の
人取り橋の合戦でも活躍。
大崎領出兵の時には総大将となるが、大敗。
朝鮮出兵の時には政宗に従い、勇戦。

1604年、一ノ関に移り二万石を領す。

政景の人生は戦に明け暮れている。
留守家を継いだ時期には反伊達勢力の鎮圧。
その後、相馬家・大崎家・黒川家・最上(もがみ)家など
周辺大名と勇戦。
また、叔父として若い政宗を補佐しつづけた。
そして、伊達・大崎・最上の和睦調停を成功させるなど、
外交にも優れていた。

政景最後の戦は、1600年、最上義光の援軍を乞われ、
上杉景勝の家臣直江兼続を長谷堂に破る。





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