西園寺公広

山名宗全

 
西園寺公広 ?〜1587
(さいおんじ きんひろ)

伊予西園寺家最後の当主。

父は京大徳寺の僧で西園寺公宣といわれる。
養父は西園寺実充。

公広も伊予来応寺の僧であったが、後継ぎを失った
宇和宗家の西園寺実充が、
公広を還俗させ、娘と娶らせ宇和の松葉西園寺家を
継がせたらしい。
よって伊予守護職を継ぐ。

文武には長けていたが、戦略などは疎かったらしく、
東中予の河野氏、南予の
宇都宮氏の侵攻を防ぎきれず、
安芸毛利氏に救援を求める。

この頃の四国というのは、一条氏が没落し、
長宗我部氏が台頭し始めた時期で
ある。
また、公広が家督を継いだ年には、
土佐一条・豊後大友の連合軍が伊予・三間表に
侵入するなど、四国勢のみならず九州勢からも
攻撃を受けるという内外ともに多難な時期であった。

1582年毛利氏の攻略を受けついに敗北。
1584年土佐・長宗我部氏の侵攻を受け、この時も
毛利氏援護を受け抗戦するが、敗北する。

後に入部した戸田勝隆に誘殺された。





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