姉小路自綱

山名宗全

 
姉小路自綱
(あねこうじよりつな)
1540〜1587
姉小路氏は建武のころに飛騨国司に任じられた。
武力を持たない姉小路氏はすぐに追い出されるはずが、
何故か同地に土着。
その姉小路氏も1411年に
室町幕府南朝勢力掃討作戦により京極高員が
飛騨小島城を攻め、落城。当主尹綱(これつな)が討死し
飛騨姉小路氏は滅んでしまう。
その100年以上後に三木氏が高山氏・江馬氏を滅ぼし
鍋山氏を乗っ取り飛騨を領する。
そして頼綱は突然姉小路頼綱を自称し始める。
(当然ながら先の姉小路とは縁もゆかりもない)
そして朝廷に働きかけ、従五位下飛騨守の官位を得る。
また、姉小路大納言頼綱を自称していたらしい。
しかし、弟顕綱の謀叛疑惑により、顕綱と
頼綱の子信綱を殺してしまう。
そして家の勢力が弱ったところを豊臣秀吉に従う
金森長近に攻められ降伏。
その後は京都で隠棲生活を送る。





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