武田義信

武田太郎義信

  生没年
1538年〜1567年

武田義信は、天文7年(1538年)に武田晴信(後の信玄)の嫡男として
生まれた。母は三条右大臣の娘。
1552年、武田・北条・今川三国軍事同盟によって妻を
今川家から迎えて元服する。元服は1553年。
1554年、信濃伊那郡の知久氏との戦いで初陣を飾る。
信濃の国を平定するために父に従う川中島では
自重の命令をうけていた義信であったが、村上義清・柿崎景家に
切り込むが負傷和解した。1560年、今川義元戦死で
武田家は対今川政策で分裂する。
義信は信玄の今川家攻略に断固反対し、また、
1561年の川中島の戦いのさいも信玄と対立する。
そして、親子関係は冷たくなった。
そして1565年、謀反を計画したかどで家臣の飯富虎昌とともに
捕らえられて東光寺に幽閉される。
2年後、永禄10年(1567年)10月19日に自刃したと言われる。
享年29歳。 死因は自殺説が有力だが、病死とも言われ、
真相は謎のままである。この事件後、武田家臣たちの間に
わだかまりが残った。





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