片倉守信
のだおぶなが
1612〜1670 通称四郎兵衛、沖之丞
真田信繁の次男、慶長17年九度山で生誕。
某年5月5日京都で印字打ち(石投げ)で総攻撃を受け
戦死(?)したと伝えられているが実は姉・阿梅が嫁いだ
片倉家の保護を受け仙台藩士となったという。
大阪の陣から約25年後には真田守信の家計調査を命じられた時には
仙台藩は真田信尹の孫として提出し難を逃れ同時に片倉姓にしている。
守信は59歳で死去し当信寺に葬られた、守信の墓には密かに
真田家を表す一文銭が刻まれている。
この後1673年伊達綱村に招かれた松代藩主真田幸道は接待役に
守信の子片倉辰信が目にとまり、広間に参上し拝謁の名誉に浴した。
1712年2月には片倉辰信に「既に将軍家をはばかるに及ばざる」の内命があり
4月に真田性に戻している。
この真田辰信の子孫が仙台真田家である。
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