徳川秀忠

斎藤道三

  徳川2代将軍。1605年に将軍職を継いだが、
政治の実権は家康の手中にあった。幕政確立期にあたり、
豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度・禁中並公家諸法度などが制定されたのは
彼の在位中であるが、家康の意図によるものが多い。
16年家康が没してからは直接政務をみたが、まもなく隠居した。

無風道人

家康の三男であるにも、かかわらず運と
温厚従順な性格で将軍になる。
二人の兄は短命ながら父の家康に勝とも劣らない評価を
受けながら秀忠は、真面目さだけが目立つ人である。
関ケ原では信州の真田から挑発され
主決戦に間に合わないという、
戦線を統括する立場の者とすれば、
考えがたい大失態を犯したりするが
実直な性格が幸いし家康からは
世継の座を奪われなかった。
こぼれ話だが白虎隊で有名な会津松平家は生涯、
側室をおかなかった秀忠の唯一の落胤が
潘祖である事は有名である





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