第六回(真田信之)

関東管領 真田昌幸

真田信之は真田昌幸の長男として生まれる。
信之は徳川家康の重臣本多忠勝のむすめを妻とする。
家康はなぜ幸村より信之を選んだか?
凡庸な信之より昌幸譲りのずば抜けた才能を持つ幸村を選ばなかったか?
それはやはり性格でしょう。
昌幸や幸村のように本当は何を考えているのか分からない奴より
誠実な性格の信之がよかったんでしょう。
信之の性格のよさは関ヶ原が終わった時
信之が親と兄の助命を頼んだ時家康は駄目と言いました。
しかし養父の忠勝も手伝ってくれて親と兄は助かりました。
忠勝がここまでしたのは信之の誠実な性格のおかげだと思います。

真田昌幸殿からの補足

信幸は誠実な凡庸ではないようです。
彼は90なんぼまでいき、時の老中・大老とやりあってます。(推測)
真田家が、なぜ存続できたか推理ください。
つぶしたい大名ベスト10に入っているはずです。
2代将軍が感情的に上位ランクさせたでしょう。
それを回避させた信幸は、ただもんじゃないはず。
池波ものに定番の一つに真田物があります。(参照)
彼は戦功があり、昌幸がみとめたがこそ、沼田の分領をもらった。
彼が関ヶ原以降後詰めに回されたわけを推理ください。
危ない有能だから、です。

調べてみてくれ>管領昌幸様



井伊直政

  真田家は改易寸前だが、人望で
まぐれている。地味だが
優秀で幸村、昌幸を助命を成功させたり
幕末まで真田家は残ったのもこの人がいてからであり
すごいと思う。また93歳まで生きたのもすごい。





投稿本当にありがとうございました。

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