第四十五回(アテルイ)

島津家軍師

  アテルイ
?〜802年

平安時代初期に名が現れる蝦夷の軍事的指導者。
日本史の資料ではアテルイを「大墓公」と言っているが、
なぜそのような呼び方なのか、
またどのように読むのかわかっていない。
桓武天皇の時代、朝廷軍を率いた紀古佐美の軍勢を
衣川で粉砕したのが最初の登場シーン。

その後、大伴弟麻呂の朝廷軍に敗れ、
胆沢と志波の地を奪われた。更に弟麻呂の跡を継いだ
征夷大将軍、坂上田村麻呂に敗北。802年に降伏した。
資料では一切、合戦の詳細は記されていない。
しかも藤原小黒麻呂が挙げた蝦夷の頭の中に
アテルイの名前はない。全てが謎の人物であった。

降伏したアテルイ、仲間のモレは朝廷によって8月13日、
河内国で処刑された。

実質的な征夷大将軍として勇名を馳せた田村麻呂と違い、
アテルイは近代まであまり評価されなかった。
だが最近ではアテルイ、モレの慰霊祭などが
故郷の岩手県などで行われ、蝦夷一族の土地と人を守り、
中央の権力に抵抗した英雄と再評価されてきている。

数で劣る蝦夷軍を率いて戦った彼の武勇と智略は、東
北の名将としての実像を想像させる。
北の勇者アテルイ。彼はこれからも岩手県民の心に残るだろう。



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