第三十八回(武田義信)

光源院義輝

   武田家後継に相応しくないとされた太郎義信。
勇ましい若武者でしたが、一軍を率いる将才、軍才では、
四郎勝頼に劣っていたのは間違いないでしょう。
でも彼への甲斐国人、国衆の期待の大きさは、
信玄が思う以上と思います。
それどころか、信玄に劣らぬ大将の器だって
備えていたと思われます。
確かに、信玄の威厳には及ばないでしょう。
でも、主君の威厳なんて最初から備えてるもんじゃありません。
長い歳月をかけ、家臣から勝ち得た信頼が
風格として備わるものと思います。
逆に、信玄がどれだけ頑張っても太郎義信にかなわないもの。
『生まれながらにして授かった公家 貴人の品格』
コレばかりはどうしようもない。
 京中が驚愕したという三條家の姫君、
草深き山国 甲斐への輿入れ。
その母 三條氏の薫陶を受け、貴人としての“たしなみ”を学び、
品格に一段と磨きをかけた太郎義信だったと察せられます。
それでいて、武田家代々の勇ましき血が少しも損なわれていない。
“みやこびと”の気品漂う、華も実もある若武者。
コレだけで遠い京に憧れる田舎人 甲斐の国衆が心酔する。
 信虎が創り、信玄が磨き上げた精強武田軍団。
勝頼にいくさの全ての任せて、
義信の器で武田軍団を束ねるだけで良かった。
何も先頭に立って引っ張ってくだけが、大将のあるべき姿じゃない。
家臣が存分に働いて成果をあげる。
それをできるように主君が活躍の場を与えてやる。
主君ができなくたってイイ。
 だが、太郎義信を軽んじ過ぎた。
力量を見誤ったとしか言いようがない。
信玄が、太郎義信を反抗的にさせたため悲劇につながったと言える。

可児才蔵

甲斐・武田信玄の嫡男。民衆からの期待は大きいものの、
軍才などは勝頼に劣っていた人で、戦で活躍した勝頼ほど、
この名前は知られていないと思う。
(あくまで自分の意見ですが。)
信濃・知久氏攻めで初陣を飾るがその後、妻の実家、
駿河・今川氏の弱体化と共に、今川氏を攻略して南進を図る父と対立する。
そして1565年叛意を問われ幽閉され、後に自害してしまった。
彼の死後、父(信玄)は駿河に侵略する。

駒井高白斎

武田義信について批評をしたいと思います。
彼は武田信玄の嫡子であり、
今川氏攻めに関して父信玄と対立し幽閉され、
自刃または病死したと言われます。
母が三条氏の娘であり、
将軍足利義輝から「義」の一字をもらい
義信と名乗り、さらに三管領に準ぜられたと言うことを
聞いたことがあります。
知ってる範囲での彼の才能はどうかと言うと、
政才に関しては特に聞いたことはないですね。
何かしたのかもしれませんが、
信玄が当主と言うこともあり、影に隠れてしまって
情報がないのかもしれません。
では、軍才はどうかと言うと、
川中島では血気に早って陣を乱し、敗走させそうになっています。
しかし、上杉謙信を一度は後退させたとも聞いています。
この点から個人としての戦いならば
義信は強かったのではないでしょうか?
ただ、戦と言うのは団体での戦いなので、
戦に関しては弱かったのかもしれません。
ですが、川中島の戦いで学んでいたのならば
将として一回り大きくなったとも考えられます。
義信は戦においては一隊を率いてるにすぎなかったので、
軍を率いてみてほしかったと思います。
義信は信玄の影に隠れて、雄飛する前に亡くなったのは残念です。

小夜

「私も義信の軍才に関しては、駒井高白斎さんと
同意見です。上杉謙信を後退させるなど、
義信は武将として、見事な働きをしている方だと思います。
それに、義信はあまりに早くに亡くなって
しまい、まだまだ戦歴が浅い彼について、
勝頼の方が軍才がある、としてしまうのは早計だと思います。
本当に、彼には軍を率いてみて欲しかったです。
本当に、武将として本格的な活躍をする前に
彼が亡くなってしまったのが、惜しまれます。





投稿本当にありがとうございました。

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