第三十四回(塙団右衛門)
長野業政
正式な名前は塙直之。
遠江の出身だといわれている。
団右衛門は文禄・慶長の役にも加藤嘉明に仕え
渡海している。
その文禄・慶長の役では敵の番船を捕獲するなどの
豪傑ぶりを見せている。
関が原の戦いにも嘉明に仕え参加しているが
そこからがこの武将の悲劇のはじまりである。
関が原後主人の嘉明と上手く行かず浪人。
その後小早川秀秋に仕えて鉄砲大将にまでなったがそこも致仕。
さらに松平忠吉、福島正則に仕えたが、旧主嘉明の
干渉で再度浪人。
そしてそのまま浪人で大阪の陣で大阪城に入城というわけである。
大阪の陣では大野治房隊に属し冬の陣では
蜂須賀の陣に夜襲をし一躍有名になり
夏の陣でも治房隊に属し浅野長晟隊との戦闘で抜け駆けをした。
しかしそれが失敗だった後続隊はなかなか来ず前線
孤立していしまい団右衛門隊300人はここでほぼ討ち死に。
もちろん団右衛門自身もここで討ち死に。
ここでかれにまつわるエピソードなのだが
彼は非常に大酒のみだった言う。
そのせいもあって彼は主人と喧嘩して浪人に
なるということが多かったらしい。
これこそ自業自得というものだろうか・・・
豪傑らしいと言えば豪傑らしいが・・・
彼の最期もまた彼らしいとは言えるが・・・
しかし彼には優れた戦術眼と勇気があった。
それは認めざる得ない。
私は彼こそ豪傑の二文字が似合う武将は他にはいないと思っている。
投稿本当にありがとうございました。
戻る