第三十二回(伊達輝宗)
伊達晴宗
東北の大名。伊達政宗の父。
妻は、最上義光の妹・義?。
とにかく近隣諸国との戦いに明け暮れた。
(最上・佐竹・大崎・芦名・相馬・岩城等)
しかし二本松の謀反(?)にあい、二本松諸共に死亡した。
大内義興
輝宗は降伏したはずの二本松に拉致されてしまいます。
政宗は父を救うべく鉄砲隊を率いて出撃。
しかし父だけを救うことはできず、
輝宗は二本松もろとも一斉射撃を受けてしまう。
この話がどこまで本当かは怪しいがなんとも壮絶な死ですね。
直江実綱
輝宗は、政宗の父ということは、わかりきっていることですがどうやら、
凡将に近い存在になっているようです。
しかし私は、そうとはおもっていません。なにしろ、彼の頃や、
政宗のころになると東北では、かなりの大名がばん居しているなかで、
自分の領土を守っていき政宗に家督を継がしたのも、
自分が拉致されても息子のことを思い鉄砲をうたせたのも私が思うに、
彼の英断に他ならないと思います。
事実、彼の判断は間違っては間違ってはおらず、
戦国以降の伊達の祖といっても過言ではないと思います。
投稿本当にありがとうございました。
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