第二十二回(毛利元就)

今井宗薫

  毛利元就は希代の策略者である。厳島合戦で
5倍の兵力をもつ晴賢を殲滅した奇襲戦などは、
信長の桶狭間合戦を凌ぐ謀略がされている。
小説ではよく毛利の視点で書かれている。例えば元春、
隆景の養子は吉川、小早川の方から申し出た、
というように。だがそれは、元就のしかけた
乗っ取りであったと思われる。しかし、そのことを
主体にして物語を書くと内容がかわってしまうので、
そのようには書かないのだろう。それに宗家相続後、
異母弟を殺し、元春が吉川家に養子に入ったら興経を殺し、
隆景が小早川に養子に入ったら反対派の家臣を殺し、
井上一族を始めとした毛利家の危険分子をも殺している。
しかし、あまりそのことが悪く言われないのは謀殺1つ1つに
周到な理由ずけがされているからだ。元就の七十五年の
生涯は、人間不信につらぬかれている。小国から
中国十ヶ国にのし上がっても、元就は常に気を抜かないでいる。
よって守りの人となった。このあたりのせいで
元就の人気は信長、秀吉などに比べ少ないのだろう。
しかし私はこの毛利元就という人物は見事な人生を送った人だとおもう。

武田典厩信繁

  毛利元就についてこんな話があります
   毛利元就が郡山の全山を城郭とした土木工事のとき、
   ほかの国ではこの時代いきている人をうめて鎮護の儀として
   いた。いわゆる人柱であるしかし毛利元就は城の礎石に
   「百万一心」と書いてうめた。
   百の字を一画のぞいて一日と読ませ、万はばらして一力と
   読ました。これで「百万一心」は「一日一力一心」と
   読める。
   そうしてこれをこつこつと気長に栄えさせるという
   毛利家の家訓にした。





投稿本当にありがとうございました。

戻る