第十六回(福島正則)
関東管領 真田昌幸
江戸時代に改易された大名で、意外と知られていないのは、福島正則ではないでしょうか?
1619年6月に改易を言い渡され、越後魚沼二万五千石・信濃川中で二万石。合計四万
五千石をもらっている。
翌月に川中島高井野邑に蟄居。1624年7月に没している。
上杉景勝
生1561〜1624没 左衛門大夫。侍従。 幼名 市松。 羽柴秀吉の臣。
尾張24万石。関ヶ原後には安芸国広島49万8千石。
加藤清正とならぶ秀吉子飼いの武将です。
幼い頃から並外れた怪力の持ち主で、18歳で中国攻めに従軍して、
猛将ぶりが世間に宣伝(?)された。
秀吉と婚姻関係にあった事で出世も早くて、賤ヶ岳の合戦では
七本槍の筆頭として、大功をあげた。
秀吉の死後、関ヶ原の合戦では石田三成と対立し、東軍について
強行主戦論を主張したという。そして先鋒として大活躍した。
戦に関しては逸材だと思います。
伊勢新九郎
改易を言い渡された時、彼はその気になれば広島城を受け取りに来る
幕府軍と戦い、最後まで抵抗する、という選択もできたと思います。
それを敢えて抵抗せずに幕府軍に明け渡したということで、その後、取り潰しに
なった大名家もそれにならって無血で明け渡すことになったと思います。
改易された時の彼の選択は、結果として江戸幕府の封建支配に
大いに貢献したのではないでしょうか。
投稿本当にありがとうございました。
戻る