第十三回(毛利輝元)

今川国氏

  西軍総大将 毛利輝元
西軍の指揮をとっていたが東軍にまけてしまい
長州一国の
長崎の幕府直轄地に監視されている長州
大阪陣では徳川方で参加した
輝元ほど有名な戦国武将は居ない
おじいさんの元就と輝元の2代で中国を支配した
だが隣には宇喜田
宇喜田は結局倒せず
中国武力統一はならなかった
輝元ほどすばらしい後継ぎはいない
秀忠もすばらしいと言われるが
実際は孫のほうがすばらしいとおもう^^
毛利家が徳川家に勝ったのは
1800年代の戊辰戦争であった


織田信忠

毛利輝元と劉禅は似ていないでしょうか?

ともに偉大な初代をもつ2代目という点。
国を滅ぼした(輝元は減俸)と言う点。

劉禅が司馬師に「蜀は懐かしいですか?」と聞かれて
「楽しくて思い出しません」というエピソードがありますが、
輝元にも似たような話があって、大坂夏の陣で大坂城が落城した時、
輝元が関ヶ原の時に秀頼の後見役であったにもかかわらず
「大変めでたい事だ」と言ったといいます。

この2人は「愚主」か「悲劇の2代目」か。
どちらにしろ敗者である事に変わりはないのですが・・・。

光源院義輝

 印象としてはバカ殿。関ヶ原大戦での主体性の無さが際立つ。
自分から動かずとも全部家臣がやってくれるという一般的な大国の主。
天文22年〔1553〕隆元の嫡男として誕生。幼名、幸鶴丸。
元就から家督を相続してた父は、永禄6年〔1563〕に突如の横死。
その後、室町の将軍 義輝の諱を賜っての元服。
わずか11歳で、祖父の後見や“両川”を始めとする叔父達の
支えを得ながら中国随一の大国 毛利家の当主におさまる。
 が、その生涯を見ると、どうしても『凡主』。
祖父達の資質には程遠いかもしれないが、それだけでは輝元が不憫だ。
おそらく、“両川”が全てに働きすぎたものと思われる。
特に、秀吉とは小早川隆景が毛利家の“窓口”を1人で努めてたしね。
段取りが決められていて、考える必要も無いまま ただ最後に裁決を下すだけ。
輝元は、自身で決断する機会を失われ続けていた。
それどころか、次世代の家臣たちの育成も間に合わなかった様子。
輝元に、家中を切り回せて対外的にも実力のある側近が居たとは聞かない。
(かろうじて言えるとすれば、せいぜい恵瓊坊主くらいか。
でも、彼は輝元のために働かず、自身の栄達のために働いた傾向が強い。)
 そして、それは関ヶ原大戦での「家中のまとまりの無さ」という形で表れた。
大軍を持ちながら輝元どころか、
一門の誰1人指導力を発揮することは無かった。
ただ1人、見込みがあるとすれば養嗣子だった従弟 秀元くらい。
もう1人の従弟 吉川広家は“内通”だけに宗家を裏切る行為と取られかねない。
「御家真っ二つ」でモタモタしてる間に、恵瓊坊主が勝手に整えてしまった。
それでも、関ヶ原決戦は傍観。
 大戦後の大坂城で、初めて“内通”の一件を聞かされた輝元。
一門の重鎮の言葉を信じてやるのは主の役割でもあるんでしょうけど、
その前後の外交ぶりを見る限り、広家では力不足でしたね。
カラ手形だけ持って簡単に大坂城を空け渡した“お人よし”の毛利軍。
『なおも立て籠もって交渉に臨むべし』という
若輩 秀元の進言は退けられたそうだ。
 その後、まんまと騙された毛利一門。
『家康を悪く言った書簡』をバラ撒いた西軍総大将として処罰を受ける輝元。
所領没収のところを結局は、防、長の二州、37万石に押し込められた。
ひどかったね。

 ここまでなら救いようのない一族で終わっちゃうところ。
萩に本拠を置いてからは、国力増産に励んだそうだ。
そりゃ、そうだ。単純に考えても 3分の1にまで落ち込んだ国力。
家臣の禄高大幅減か、大量解雇に迫られた毛利家。
大半は御家を離れたが、「無禄でもいいから」と泣いて訴え
とうとう萩まで付いて来た家臣も多かったという。
そうなると、彼らの食い扶持を真っ先に保証しなければならない。
それどころか、広島からの引っ越し、萩の御城築城など多額の出費がある。
大きな借財のあるところから、御家を創り直さなくてはならない。
 ここで指導力を発揮したのは若い秀元。
大戦後、萩での輝元は隠居同然の暮らしに入ったらしい。
跡目には、まだ幼年の嫡男 秀就。
主君 輝元にようやく授かった嫡男に遠慮して、
宗家養嗣子だった秀元は、大戦前から庶家を立てていた。
自分には無い才気を溢れさせる、親子ほど歳の離れたこの従弟を
輝元はとても大事にし、秀就の後見と毛利家の全てを託した。
 後見人秀元による指導の下、家中団結して国力増産に励んだ結果は、
37万石の所領が実質100万石にも相当する豊かな国になったという。
おかげで、借財も“大坂の陣”の頃にはキレイに無くなった。
御家を離れた家臣も戻ってこられたそうだ。良かった、良かった。

 バカ殿ではあったものの、自身の当主てしての限界が判ってた。
力ある者に働いてもらっただけでも、輝元は立派と思いますよ。





投稿本当にありがとうございました。

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