第十二回(織田信長)

今川国氏

  織田信長はえらい!それは何故か?うつけの振りを12年間もした!
しかも近畿全体を占領して巨大な毛利にせめいった
はなしは戻るが柴田が本能寺の変の黒幕ではないのか?
信長暗殺計画を二度も計画した柴田
ありうる
信長のお茶に毒をもったが信長が井戸水をのんだためお茶をのまなかった
信長に名古屋城から鉄砲でうとうとしたが信長にみつかり失敗
これほど柴田は憎い
それで重臣
あほちゃうか?
まあそれはおいといて大河ドラマ「信長」うそばかり書いてます
桶狭間の戦いあれうそ!
今川義元が公家のかっこうをしてたがあんな格好してない
それに馬でにげるのにかごで逃げる
まあ大河ドラマで嘘おおいのは「徳川吉宗」「独眼竜正宗」「信長」
「元禄繚乱」「秀吉」ぐらいかな?<まだたくさんあるが
完璧だったのは「飛ぶが如く」あれは完璧
これじゃ大河ドラマになってしまう
信長の話には嘘がおおいのです
明智が本能寺の火をつけたとかという話があるが
今だ真実はわかってない
では信長の結論
信長の物語にはうそがおおい
安土城だってあれはせめられないように山がおおいとこでつくったし
放火できないとおもうが
源の弟みたいに謎が多い

早雲庵宗瑞

やはりこの人は天才だと思います。政治面では政治と宗教を切り離し、
経済面では「楽市楽座」を大規模に行い、
軍事面では兵農分離を進めました。また、
信長包囲網による苦境にも負けなかったところが凄いと思います。
やはり彼なしでは天下統一は無かったと思います。


ちなみ

私は変わった視点から人物評価をしてみたいと思います。
史実上の信長、家康、秀吉の性格を心理学で分析したいと思います。
外向⇔内向 感情⇔理性 直感⇔現実
判断⇔柔軟 緊張⇔回避
以上の五つで分析したいと思います。

織田信長・・・外向、感情、現実、判断、緊張タイプ
孤独を好む人は内向、そうでない人は外向だそうです。
信長は明るくて陽気な性格だったそうなので思考的外向型。
尾張を統一したり天下を取る一歩手前まで行った信長は
人をまとめる力があったと思われ、社会的にも外向型。
家老の平手政秀が亡くなった時泣きながらタカを飛ばしたり、
父・信秀が病に倒れたとき仏僧に拝ませたり、
信秀が亡くなると怒って仏僧たちを射殺したりという行動は
ヒステリックなので感情型。天下統一というプランがあったので現実型。
そして、それを最後までやり抜こうとしていたので判断型。
言い方が悪く誤解される面があったそうなので緊張型。
「このタイプはバイタルでアグレッシブな面があり、
半ば強引に仕事を進める。そこが他者を魅了するが、
反面、自己中心的でヒステリーとしても表現される、等の特質がある」そうです。


ちなみ

NHKの「そのとき歴史が動いた」で、
日本の歴史を動かした人のアンケートをしたのですが、結果は以下のとおりでした。
1.織田信長
2.坂本龍馬
3.徳川家康
一位を記念して信長のところに書いときます。

斎藤 道三

織田信長....この人は元来に天才である。(わかりきった事であるが...)
寺社、商人、公家...つぎつぎと今までその人々の既得権を奪ってきた。
それがいままで、非難されてきた事もあったが、
信長は先祖伝来の地といわれている、「織田剣神社」を保護しているし、
桑実寺などの自分に従うものは保護しているし神社仏閣が嫌いではないと思う。


斎藤道三

織田信秀の嫡男で幼名は吉法師。幼少時は太原雪斎らから教育を受ける。
奇行が目立ち、「うつけ者」と称される中で斎藤道三の娘、濃姫と結婚。
父の死後、弟の織田信行を擁立する重臣達と
織田家を二分する対立を起こしたが1559年に尾張を統一。
1560年の桶狭間の戦いで今川義元を討ち、全国に名を轟かせ、
その後も次々と敵を撃破し領地を拡大。
政治面でも楽市楽座や撰銭令などを実施し、
後半の居城であった安土城も有名。一時は足利義昭の画策した、
武田信玄らを中心とする「信長包囲網」に悩ませられた。
しかし信玄の死により局面は一変。遂には1573年に室町幕府を滅亡させる。
その後も鉄砲を活用した長篠の戦いや石山戦争などで強敵を滅ぼし、
天下統一をほぼ手中に収めた。
しかし、1582年天下布武を目前に本能寺の変で明智光秀に討たれ、夢ついえる。





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