第十一回(伊達政宗)
今川国氏
伊達政宗・・・
本当に知らないんですが
図書館で調べたり大河ドラマで調べたりしました
その結果結論は冷静残酷
戦いが好きで自分のお家はかまわず自分だけで決める
お家滅亡でもかまわないという性格・・・
小田原で秀吉にあったとき大河ドラマでは白い服で来たシーンをみましたが
おお嘘です
史実では公卿姿できたと書いています・・
奥州統一は・・
弱い大名ばかりだったのであたりまえだとおもうが
伊達政宗は障害者だから同情する人がいます
あの病気は史実からも天然痘だといわれています
それが短気につながったとも言われています
ここで歴史人物で天然痘にかった人はたくさんいます
徳川吉宗 いまで言う中学生のころに天然痘
つながりは「短気」(爆)
かなり怒ったら人を斬ります
伊達本人は「天下万民のために奥州を統一しなければならない」
あまり領民にはやさしくなくすぐ人をきったそうで
あまりいい評判はなかったそうです
前田利家
伊達政宗は義姫、小次郎が毒殺しようとした。
実は裏では最上義光が線を引いていたとかいてありました。
義姫はムカツク
上杉景勝
生1567〜没1636 左京大夫 幼名 梵天丸。
「独眼竜」の異名で有名な奥羽地方の覇者。
「伊達男」の起源にもなった、派手で粋なオトコ。
仙台を日本有数の米所にしたのが、伊達政宗である。
死装束での小田原参戦に代表される派手な演出を用いた戦略を好んだ。
母義姫は政宗を妊娠した時に、「僧が自分のお腹の中に泊まらせてもらうと
言って、礼に梵天を渡された。」(リアルな物では無い(汗))
という夢をみたという、それで「梵天丸」になった。
幼い頃に天然痘にかかり、凄い生命力で死は逃れたが、右目が腫れて
飛び出たようになってしまった。
この頃から政宗は母に疎まれ、次男・小次郎ばかりが
可愛がられるようになり、政宗は自分のその顔に苦しんで、
池で自分の顔を見ては悔し泣きしてたと言われる。
その様子を見ていた女が輝宗に伝え、輝宗はある僧に政宗の事を頼んだ。
政宗には小十郎(片倉景綱)が付いていて、武力鍛錬等をしていた…。
その時の話。小十朗が「もし戦場でその右目をつかまれたら
どういたす?」と政宗に言ったら、政宗は「ならば小十朗!
その刀でこの右目を斬り取れ!」すると小十朗は「わかりました。では…。」
ザシュ!(この様子を輝宗と僧は見ていたとも。)
少し成長した政宗は「もう右目に苦はなくなった。」と僧に言っていたという。
伊達政宗の子供の時の話
他にも話がある。子供の時、政宗が僧と一緒に仁王像を見た時、
「内に慈悲をひめ、外に剛を表しているのか。」とすぐに理解した。
他にも他にも話はある。子供の時は鷹狩が好きで、捕まえようとした鷹に
逃げられた時、遊び相手に「鷹を連れて来い!」とわがままを言い、
その相手は仕方なく老中の鷹を借りた。政宗が喜んでいるので、
「やはり子供だな」と思っていたら政宗が「もう飽きた、
老中に返しておけ。」と言うので、その相手は観察力に参ったそうだ。
政宗は18の時に家督を譲られる。が、義姫は小次郎に後を継がせようと
思っていたので、政宗はますます疎まれる。後には飯に毒を盛られて、
謀殺されかかった。(この事は最上義光が裏で糸を引いていたともいう。)
その為、さすがに母を斬る訳にはいかず、弟・小次郎を斬る。
義姫は最上家に逃げる。
そのせいか、やや性格の歪んだ面を持っている人間らしい。
戦ぶりは徹底していて、刃向かう者は情け容赦無く一族郎党を
皆殺しにしていったという。
政宗は江戸・徳川の時代まで生き、秀忠、家光に慕われた。
生まれる時代を遅れてしまった「最期の戦国武将」といわれている。
真田大助
政宗に関するストーリーを一つ。
ある日政宗は、縁側で家宝の天目茶碗を手にとって眺めていた。
そしてうっかり手を滑らしてしまったが、なんとか茶碗を落とさずにすんだ。
冷や汗を流した後、ホッと息をついて小考。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何を考えたか、天目茶碗をわざわざ庭石にぶつけて粉々にしてしまった。
「ええい!茶碗ごときがわしを脅かすとは!」
と叫びながら・・・・・・・・・・・・。
この話がいつ頃のことかは知りませんが、
なかなかに戦国武将というものを表しているエピソードだと思います。
小物
ご存知、独眼竜こと伊達政宗。某少年誌の某マンガにも出ていますね。
幼名「梵天丸」として。。。この人は派手さが伺える人だと思います。
義姫の毒盛りは有名ですね。義姫は最悪な人間ですね。
小次郎を後継ぎにしたいからって実の息子に・・・
この人について他の詳しい事はよく知りませんが。
投稿本当にありがとうございました。
戻る