クイズの過去問

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第一問


まず、第一問は家康の先祖についての問題です。
家康の先祖が1400年ごろ三河の国にはじめてきたとき
職業は何だったでしょう?
1.武将 2.商人 3.僧侶
正解者は先着順に OKAZU様 グラード卿様 征夷大将軍徳川家康公様でした。
また、答えは3番の僧侶でした。

第二問

   
第二問は家康の家臣についての問題です。
長篠の戦いのとき織田信長から”長篠の鬚”と呼ばれたのは誰でしょう?
1.大久保忠佐 2.大久保忠世 3.大久保忠隣
正解者は先着順に 永蓮寺初二様 伊勢新九郎様 グラード卿様でした。
また、答えは1番の大久保忠佐でした。

第三問


第三問は家康の戦った合戦についての質問です。
高天神城を家康が兵糧攻めにしている時、1581年二月に武田勝頼の援軍が来ました。
ところが、北条の援軍が来たので勝頼は退却しました。
武田軍は北条の援軍のどういうところを特に恐れたのでしょう?
1.風魔一族などをはじめとした諜報網 2.長篠の合戦で敗れた鉄砲隊 3.所領をバックにした大兵力
正解者は先着順に あいまいみい様 関東管領 真田昌幸様 倭寇様でした。
また、答えは2番の長篠の合戦で敗れた鉄砲隊でした。

第四問

   
第四問は家康の家臣についての質問です。
三河三奉行は次のうちで誰でしょう?
1.高力清長 2.鳥居忠吉 3.酒井重忠
正解者は先着順に 征夷大将軍徳川家康公様 徳川宗春様 平岩親吉様でした。
また、答えは1番の高力清長でした。

第五問

   
第五問は家康の家臣についての質問です。
大阪の陣のとき大阪城の中にいる人から、
六本槍の衆と呼ばれたのは次のうち誰でしょう?
1永井直勝 2.後藤庄三郎 3.本多忠朝
正解者は先着順に 霞様 雨四光様 独眼龍 政宗様でした。
また、答えは2番の後藤庄三郎でした。

第六問

   
第六問は家康に協力した人についての質問です。
角倉了以で有名な角倉家の代々の職業は何だったでしょう?
1商人 2.医業 3.武士
この問題は出題ミスで、答えが二つありました。
そこでどちらとも正解にいたします。
皆様、まことに申し訳ありませんでした。
正解は1番の商人と、2番の医業です。

第七問

   
第七問は信康殺害への経緯についての問題です。
家康が岡崎城に来て、信康を城に移しました。
その城からさらに信康はある城に移されました。
その岡崎城の次の次に信康がいた城はなんと言う城でしょう?
1.堀江城 2.西尾城 3.大浜城
正解者は先着順に 霞様 伊達政宗様 あいまいみい様でした。
また、答えは1番の堀江城でした。

第八問

   
第八問は家康に関係の深い外国人についての問題です。
ウィリアム・アダムスが12歳で勤め始めたときの職業は何でしょう?
1.貿易会社 2.海軍 3.造船業
正解者は先着順に 霞様 本多忠勝様 酒井忠次様でした。
また、答えは3番の造船業でした。


第九問

  
第九問は江戸幕府の役職についての問題です。
次のうち若年寄の管轄下の役職はどれでしょう?
1.書替奉行 2.作事奉行 3.書物奉行
正解者は先着順に 伊達政宗様 佐竹義重様 sin様でした。
また、答えは3番の書物奉行でした。

第十問

  
第十問は家康の祖父についての問題です。
次のうち松平清康と仲が悪く、清康が殺されるきっかけを作ったのは誰でしょう?
1.松平信貞 2.内膳信定 3.安部定吉
正解者は先着順に 平岩親吉様 伊勢新九郎様 sin様でした。
また、答えは2番の内膳信定でした。

第十一問

  
第十一問は家臣の石高についての問題です。
家康が秀吉の命令で関東に転封されたときに、
家臣の中で石高が最も高いのは誰だったでしょう?
1.榊原康政 2.本多忠勝 3.井伊直政
正解者は先着順に 本多忠勝様 霞様 伊奈忠次様でした。
また、答えは3番の井伊直政でした。

第十二問


第十二問は家康の儒学の師についての問題です。
家康が、儒学で有名な林羅山を推挙した藤原惺窩に
初めて会った場所は次のどこでしょう?
1.肥前国 2.山城国 3.相模国
正解者は先着順に 忽那水軍様 だいこく屋様 kayoushogakkou様でした。
また、答えは1番の肥前国でした。

第十三問

  
第十三問は家康の朝廷と幕府のパイプ役についての問題です。
元和八年(1622)以降日光例幣使の任を
つかさどることになった家は次のどこでしょう?
1.末吉家 2.中井家 3.真継家
正解者は先着順に sin様 徳川宗春様 ひでくん様でした。
また、答えは3番の真継家でした。

第十四問

  
第十四問は婚姻政策についての問題です。
松平忠輝と伊達政宗の娘の結婚を仲介したのは
次のうち誰でしょう?
1.淀屋常安 2.今井宗薫 3.茶屋四郎次郎
正解者は先着順に 酒井忠次様 霞様 トシ様でした。
また、答えは2番の今井宗薫でした。

第十五問

  
第十五問は三河の一向一揆についての問題です。
三河の一向一揆で一揆側についたのは
次のうち誰でしょう?
1.酒井忠尚 2.本多広孝 3.内藤義清
正解者は先着順に 武田信玄様 佐竹義重様 忽那水軍様でした。
また、答えは1番の酒井忠尚でした。

第十六問

  
第十六問は松平氏の宗派についての問題です。
三河の一向一揆が起こったときの
松平氏の宗派は次のうちどれでしょう?
1.曹洞宗 2.浄土宗 3.時宗
正解者は先着順に 武田信玄様 徳川宗春様 佐竹義重様でした。
また、答えは2番の浄土宗でした。

第十七問

  
第十七問は小牧の戦いについての問題です。
小牧の戦いのときに森長可の使い番をしていたのは
次のうち誰でしょう?
1.天野雄光 2.岡田重孝 3.鍋田内蔵助
正解者は先着順に 伊奈忠次様 忽那水軍様 伊達政宗様でした。
また、答えは3番の鍋田内蔵助でした。

第十八問

  
第十八問は茶屋四郎次郎についての問題です。
家康に仕えた茶屋四郎次郎のうち
伊賀越えの時に、家康を助けたことで有名な一代目は次のうち誰でしょう?
1.清延 2.清次 3.清忠
正解者は先着順に 佐竹義重様 不識庵様 永蓮寺初二様でした。
また、答えは1番の清延でした。

第十九問


第十九問は青州黄巾軍についての問題です。
曹操に青州の黄巾軍が降伏したときに
条件として、信仰の保証を願い出たのは次のうちどの宗教でしょう?
1.大平道 2.五斗米道 3.道教
正解者は先着順に 永蓮寺初二様 沼田祐光様 Kato様でした。
また、答えは3番の道教でした。

第二十問


第二十問は家康の前半の家臣についての問題です。
丸根砦攻めに参加して、一向一揆では
一揆側についたのは次のうち誰でしょう?
1.米津常春 2.永井直勝 3.蜂屋貞次
正解者は先着順に 永蓮寺初二様 平岩親吉様 やまねっち様でした。
また、答えは3番の蜂屋貞次でした。

特別問題

  
徳川宗春様からの出題です。
曹操がおこなった論功行賞でみごと2位になった人はだれでしょう?
1.徐晃 2.荀攸 3.司馬懿
正解者は先着順に 平岩親吉様 酒井忠次様 忽那水軍様でした。
また、答えは2番の荀攸でした。

第二十一問


第二十一問は官渡の戦いについての問題です。
袁紹が官渡の戦いの前哨戦である白馬の戦いのとき
最初に本拠にしたのは次のうちどこでしょう?
1.陽武 2.黎陽 3.延津
正解者は先着順に 永蓮寺初二様 徳川宗春様 沼田祐光様でした。
また、答えは2番の黎陽でした。

第二十二問


第二十二問は駿府城についての問題です。
家康が作った駿府城は安倍川ともう一つの川による
扇状地に作られました。そのもう一つの川とは次のうちどれでしょう?
1.植田川 2.豊川 3.藁科川
正解者は先着順に 伊奈忠次様 平岩親吉様 今川国氏様でした。
また、答えは3番の藁科川でした。

第二十三問

  
第二十三問は後漢末に皇帝を自称した人物についての問題です。
後漢末に、陽明皇帝と自称したのは、次のうち誰でしょう?
1.裴潜 2.許生 3.陳蕃
正解者は先着順に 伊奈忠次様 平岩親吉様 伊勢新九郎様でした。
また、答えは2番の許生でした。


第二十四問

  
第二十四問は武家諸法度についての問題です。
大阪の陣の後、伏見城に集まった諸大名の前で
武家諸法度を読み上げたのは次のうち誰でしょう?
1.林羅山 2.本多正純 3.以心崇伝
正解者は先着順に 平岩親吉様 伊勢新九郎様 やまねっち様でした。
また、答えは3番の以心崇伝でした。

第二十五問


第二十五問は中国古代の宮廷に関する問題です。
宮中で皇帝や後宮に奉仕する中常侍に宦官を
任用するようになったのはいつからでしょう?
1.秦の末期 2.前漢の中頃 3.前漢の末期
正解者は先着順に 平岩親吉様 伊勢新九郎様 今川国氏様でした。
また、答えは2番の前漢の中頃でした。

第二十六問


第二十六問は家康の関係者についての問題です。
三河の一向一揆の時に、初めて家康に会ったのは次のうち誰でしょう?
1.木清秀 2.内藤家長 3.植村家政
正解者は先着順に 平岩親吉様 やまねっち様 独眼龍 政宗様でした。
また、答えは1番の木清秀でした。

第二十七問


第二十七問は董卓が長安に遷都した時についての問題です。
董卓が長安に遷都した時、水関を守っていたのは
次のうち誰でしょう?
1.樊稠 2.張済 3.趙岑
この問題は出題ミスでした。実は趙岑は、
正史には登場しておりませんでした。
皆様、まことに申し訳ありませんでした。

第二十八問

武田信玄すら落とせなかった難攻不落の城を武田勝頼が落としました。
その城を落すために家康が建てたのは次のうちどの城でしょう?
1.馬伏塚城 2.横須賀城 3.天方城
正解者は先着順に 真田幸村様 今川国氏様 大館東中学校様でした。
また、答えは2番の横須賀城でした。

第二十九問


曹氏一族で医書「解寒食散方」を著わしたのは次のうち誰でしょう?
1.曹節 2.曹翕 3.曹褒
正解者は先着順に 平岩親吉様 沼田祐光様 今川国氏様でした。
また、答えは2番の曹翕でした。

第三十問


第三十問は徳川家康が生まれた時についての問題です。
徳川家康が生まれた時胞刀の役をつとめたのは
次のうち誰でしょう?
1.鳥居忠吉 2.石川清兼 3.酒井正親
正解者は先着順に 平岩親吉様 栖原様 上杉景勝様でした。
また、答えは3番の酒井正親でした。

第三十一問

  
第三十一問は曹髦の死についての問題です。
曹髦はどのようにして死んだでしょう?
1.病死した。 2.皇位を降ろされたと同時に殺された。 3.司馬昭を討とうとして逆に殺された。
正解者は先着順に 平岩親吉様 sin様 永蓮寺初二様でした。
また、答えは3番の「司馬昭を討とうとして逆に殺された。」でした。


第三十二問

松平広忠を追い出そうとした首謀者は次のうち誰でしょう?
1.松平信孝 2.酒井忠尚 3.松平忠倫
正解者は先着順に 独眼龍 政宗様 Kato様 霧隠才蔵様でした。
また、答えは1番の松平信孝でした。

第三十三問

  
第三十三問は徳川家康の人質生活に関する問題です。
竹千代(後の徳川家康)と織田信広の人質交換が
行われたのは次のうちどこか?
1.駿河国 2.尾張国 3.三河国
正解者は先着順に 平岩親吉様 伊勢新九郎様 伊奈忠次様でした。
また、答えは2番の尾張国でした。

第三十四問


第三十四問は魏の名将、郭淮に関する問題です。
郭淮は張コウ(元袁紹配下、曹操が死んだ後に大活躍する。)の
司馬になる前、誰の司馬になっていたのでしょう?
1.夏侯惇 2.夏侯淵 3.徐晃
正解者は先着順に 伊奈忠次様 酒井忠次様 沼田祐光様でした。
また、答えは2番の夏侯淵でした。

第三十五問


第三十五問は家康の初陣に関する問題です。
徳川家康の初陣となった合戦が起こったきっかけは
次のうちどれでしょう?
1.今川より織田が強いといううわさが駿府城下で流れたから。
2.織田が攻めこんできたから。
3.今川の家臣の中に寝返ったものが出たから。
正解者は先着順に 伊奈忠次様 やまねっち様 今川国氏様でした。
また、答えは3番の「今川の家臣の中に寝返ったものが出たから。」でした。

第三十六問


第三十六問は劉備の配下に関する問題です。
次の劉備の配下に関する記述のうち
間違っているのはどれでしょう?
1.張飛は上のものに敬意を表した。
2.関羽は上のものに敬意を表した。
3.魏延が楊儀に切りかかったのは、蜀に対する謀反の意が
あったからではなく、楊儀を殺したかったからである。
正解者は先着順に酒井忠次様 sin様 沼田祐光様でした。
また、答えは2番の「関羽は上のものに敬意を表した。」でした。

第三十七問


第三十七問はまたまた、家康の初陣についての問題です。
家康が初陣の戦いで、本常寺部城を落とす時に、
やったことはなんでしょう?
1.篭城勢を挑発して、野戦に持ち込んだ。
2.篭城勢のうち何人かを内通させ、中から崩壊させた。
3.夜討ちをやった。
正解者は先着順に 酒井忠次様 平岩親吉様 Kato様でした。
また、答えは3番の「夜討ちをやった。」でした。

第三十八問


第三十八問は孫チンについての問題です。
孫チンが、自分を殺すためのわなとわかって、
ある会に出かけることには出かけたが、
途中で帰れるように、ある策を立てた。その策とはなんでしょう?
1.自分の親が危篤だと言う使者を後で来させた。
2.会のある屋敷で、火をかけさせた。
3.敵襲と言う偽情報を流した。
正解者は先着順に 酒井忠次様 独眼龍 政宗様 真田幸村様でした。
また、答えは2番の「会のある屋敷で、火をかけさせた。」でした。

第三十九問


第三十九問は家康の生母、於大の方についての問題です。
徳川家康が母と離別後、初めて再会したのは、次のうちいつでしょう?
1.1560年 2.1562年 3.1570年
正解者は先着順に 酒井忠次様 今川国氏様 沼田祐光様でした。
また、答えは1番の1560年でした。

第四十問


第四十問は少帝に関する問題です。
宦官たちによって、小平津に連れていかれた
少帝と、後の献帝を守って御所に帰還したのは、
次のうち誰でしょう?
1.張京 2.陳延 3.閔貢
正解者は先着順に 沼田祐光様 平岩親吉様 真田幸村様でした。
また、答えは3番の閔貢でした。

第四十一問


第四十一問は桶狭間の戦い直後についての問題です。
家康が、桶狭間の戦いの後、今川軍が、岡崎城から、
引き上げる前に、とりあえず、駐屯していた寺は、
次のうちどこでしょう?
1.臨済寺 2.善照寺 3.大樹寺
正解者は先着順に 伊奈忠次様 沼田祐光様 独眼龍 政宗様でした。
また、答えは3番の大樹寺でした。

第四十二問


第四十二問は徐晃についての問題です。
夏侯淵が、定軍山で殺された後、曹操は漢中から
軍を引きました。その後、徐晃が派遣された都市は
次のうちどこでしょう?
1.上庸 2.宛 3.汝南
正解者は先着順に 今川国氏様 松平信康様 佐竹義重様でした。
また、答えは2番の宛でした。

第四十三問


第四十三問は家康の先祖の松平親氏についての問題です。
松平親氏が、松平信重の長女の婿になったのは、
松平信重にどう言うところを認められたからでしょう?
1.連歌がうまかったところ 2.絵がうまかったところ 3.武勇に優れていたところ
正解者は先着順に 今川国氏様 沼田祐光様 酒井忠次様でした。
また、答えは1番の「連歌がうまかったところ」でした。

第四十四問


陰皇后が罪に問われて廃位になったのはどうしてでしょう?
1.宮中に入った女性を殺そうとしたから。
2.個人的な感情で、学者を罰したから。
3.皇帝にした献策でかえってまずいことになったから。
正解者は先着順に 沼田祐光様 独眼龍 政宗様 伊勢新九郎様でした。
また、答えは1番の「宮中に入った女性を殺そうとしたから。」でした。

第四十五問

松平信光に関する次の記述のうち間違っているのはどれでしょう?
1.出家をした。
2.戸田氏と対立した。
3.将軍義政の命を受けて国人一揆を鎮圧した。
正解者は先着順に 関東管領 真田昌幸様 独眼龍 政宗様 splaza様でした。
また、答えは2番の「戸田氏と対立した。」でした。

第四十六問

劉貞が侯を召し上げられたのはどうしてでしょう?
1.職務を怠ったから。
2.納めるべき金を納めなかったから。
3.天子に中央に呼ばれたのに、従わず、地方にとどまったから。
正解者は先着順に 佐竹義重様 黒田汚水様 マヨネーズ様でした。
また、答えは2番の「納めるべき金を納めなかったから。」でした。

第四十七問

松平親忠が没した場所は次のうちどこでしょう?
1.寺 2.陣 3.城
正解者は先着順に 平岩親吉様 独眼龍 政宗様 不動明王様でした。

また、答えは1番の寺でした。

第四十八問


第四十八問は夏侯惇についての問題です。
夏侯惇が激しい気性の持ち主であると知られるように
なったのは、次のうちどのことをしたからでしょう?
1.師を侮辱したものを殺した。
2.母を侮辱したものを殺した。
3.父を侮辱したものを殺した。
正解者は先着順に 独眼龍 政宗様 佐竹義重様 真田幸村様でした。
また、答えは1番の「師を侮辱したものを殺した。」でした。

第四十九問

この連判状が作られた主な目的は何でしょう?
1.松平氏の菩提寺の境内で、竹林伐採をさせないため。
2.松平氏の菩提寺を連判者に警護させるため。
3.後を継いだばかりの長親が、一族の長であることを確認するため。
正解者は先着順に 平岩親吉様 独眼龍 政宗様 不動明王様でした。
また、答えは3番の「後を継いだばかりの長親が、一族の長であることを確認するため。」でした。


第五十問


第五十問は劉備が、死ぬ少し前の呉に関するについての問題です。
白帝城で、劉備が軍を立て直しているとき、
劉備を今すぐ、攻撃しようと言う意見を出したのは
次のうち誰でしょう?
1.宋謙 2.朱然 3.駱統
正解者は先着順に 今川国氏様 平岩親吉様 独眼龍 政宗様でした。
また、答えは1番の宋謙でした。


第五十一問


第五十一問は岡崎城についての問題です。
松平氏が岡崎城を本拠にしたのは、
次のうち誰の代の時でしょう?
1.親忠
2.長親
3.清康
正解者は先着順に 関東管領 真田昌幸様 酒井忠次様 平岩親吉様でした。
また、答えは3番の清康でした。

第五十二問


第五十二問は袁紹の決断についての問題です。
袁術が曹操の支配している陳留を攻めたとき、
袁紹はどういう行動をとったでしょう?
1.袁術についた
2.中立を守った
3.曹操についた
正解者は先着順に 今川国氏様 平岩親吉様 松平信康様でした。
また、答えは3番の曹操についたでした。


第五十三問


第五十三問は高天神城攻めについての問題です。
高天神城攻めで家康が用いた戦法は次のうちどれでしょう?
1.兵糧攻め
2.奇襲
3.大兵力による力攻め
正解者は先着順に 関東管領 真田昌幸様 徳川宗春様 小烏丸様でした。
また、答えは1番の兵糧攻めでした。

第五十四問


第五十四問は異民族についての問題です。
沙末汗はどの異民族の首領だったでしょう?
1.鮮卑
2.南蛮
3.羌
正解者は先着順に 酒井忠次様 伊勢新九郎様 小烏丸様でした。
また、答えは1番の鮮卑でした。


第五十五問


第五十五問は人質についての問題です。
田峯・長篠・野田方面の諸将の人質は次のうちどの城に置かれていたでしょう?
1.曳馬城
2.吉田城
3.駿府城
正解者は先着順に 今川国氏様 平岩親吉様 上杉景勝様でした。
また、答えは2番の吉田城でした。

第五十六問


第五十六問は諸葛瞻についての問題です。
諸葛瞻についての正しい記述は次のうちどれでしょう?
1.処世術に長けていた。
2.記憶力がよかった。
3.敵国からの使者を殺したことはなかった。
正解者は先着順に 今川国氏様 平岩親吉様 伊奈忠次様でした。
また、答えは2番の「記憶力がよかった。」でした。

第五十七問


第五十七問は家康の先祖についての問題です。
米作地帯を松平氏が初めて得たのは
次のうち誰が当主の時でしょう?
1.松平泰親
2.松平信光
3.松平親忠
正解者は先着順に 今川国氏様 平岩親吉様 小烏丸様でした。
また、答えは1番の松平泰親でした。

第五十八問


第五十四問は蜀の張裔についての問題です。
張裔は益州太守として赴任した後、
次のうちどの軍に捕らえられたでしょう?
1.魏の軍
2.地元の豪族の軍
3.農民の反乱軍
正解者は先着順に 今川国氏様 酒井忠次様 平岩親吉様でした。
また、答えは2番の地元の豪族の軍でした。


第五十九問


第五十九問は家康の吉田城攻めについての問題です。
家康が、吉田城攻めを命じたのは次のうち誰でしょう?
1.大久保忠世
2.大久保忠佐
3.酒井忠次
正解者は先着順に 酒井忠次様 関東管領 真田昌幸様 徳川秀忠様でした。
また、答えは3番の酒井忠次でした。


第六十問

次のうち黄巾軍に呼応して蜂起していないのは誰か?
1.周慎 2.周鳳 3.周朝
正解者は先着順に 独眼龍 政宗様 平岩親吉様 不動明王様でした。
また、答えは1番の周慎でした。

第六十一問

家康が、徳川に改姓する時、家康と近衛前久との間を取り持ったのは、
次のうちどの職についていたものか?
1.武士 2.商人 3.僧侶
正解者は先着順に 伊勢新九郎様 不動明王様 大石鍬次郎様でした。
また、答えは3番の僧侶でした。

特別問題2

この問題は、独眼龍 政宗様からの出題です。
今川の家臣で桔梗笹の兜を冠って戦陣に度々出たのは誰でしょう?
1.城所助之允 2.牧孫左衛門 3.本間八郎三郎

正解者は先着順に 不動明王様 yy-club様 マヨネーズ様でした。
また、答えは1番の城所助之允でした。


第六十二問

諸葛恪が人気取りのためにやったことでないのは次のうちどれでしょう?
1.物品税を撤廃した
2.出兵を減らして、内政につとめた。
3.秘密警察などの監察制度を廃止した。
正解者は先着順に 不動明王様 伊勢新九郎様 マヨネーズ様でした。
また、答えは2番の「出兵を減らして、内政につとめた。」でした。

特別問題3

この問題は、独眼龍 政宗様からの出題です。
本多をはじめて名乗ったのと言われるは誰?
1.本多助時 2.本多助定 3.本多助秀
正解者は先着順に 関東管領 真田昌幸様 マヨネーズ様 前田利家様でした。
また、答えは3番の本多助秀でした。

特別問題4


この問題は、今川国氏様からの出題です。
北条早雲の一族は後に○○氏といわれたでしょうか?
1.後北条氏 2.後家北条氏 3.小田原氏
正解者は先着順に 真田幸村様 株式会社 シビル技研様 大石鍬次郎様でした。
また、答えは1番の後北条氏でした。

第六十三問

次のうち遠江引佐郡の井伊谷三人衆でないのは誰か?
1.菅沼忠久 2.近藤康用 3.植村家存
正解者は先着順に 酒井忠次様 伊勢新九郎様 大館東中学校様でした。

また、答えは3番の植村家存でした。

第六十四問

次の記述のうち曹丕に当てはまるのはどれでしょう?
1.十分な度量があった。
2.公平な態度を貫いた。
3.武術にたけていた。
正解者は先着順に 永蓮寺初二様 酒井忠次様 yy-club様でした。
また、答えは3番の「武術にたけていた。」でした。

第六十五問

家康が岡崎から本拠を移そうと思って築城しかけたが、
途中で建設を中止した城は、浜松城から見てどの方角にあったでしょう?
1.東 2.西 3.北
正解者は先着順に 伊勢新九郎様 不動明王様 酒井忠次様でした。
また、答えは1番の東でした。

第六十六問

曹丕が儒者に命じて経典とその注釈書をまとめた書物は、次のうちどれでしょう?
1.皇覧 2.文選 3.典論
正解者は先着順に 不動明王様 酒井忠次様 上杉景勝様でした。
また、答えは1番の皇覧でした。

特別問題5

この問題は、関東管領 真田昌幸様からの出題です。
真田幸隆は一度武田氏等に滅ぼされた後、真田姓を名乗っています。
さて、滅ぼされる前の姓はなんだったでしょうか?
1.海野氏 2.望月氏 3.根津氏
正解者は先着順に 池田輝政様 上杉景勝様 TOPGUN様でした。
また、答えは1番の海野氏でした。

特別問題6

この問題は、関東管領 真田昌幸様からの出題です。
最初日本に鉄砲が伝来した地は、紀伊・種子島とあとどこでしょうか?
1.国友 2.山口 3.直江津
正解者は先着順に 酒井忠次様 池田輝政様 鬼庭良直様でした。
また、答えは1番の国友でした。

特別問題7

この問題は、関東管領 真田昌幸様からの出題です。
示現流の開祖はだれ?
1.柳生忠明 2.東郷重位 3.丸目長恵
正解者は先着順に 池田輝政様 上杉景勝様 TOPGUN様でした。
また、答えは2番の東郷重位でした。

第六十七問

家康が上杉家と同盟をはじめて結んだのは次のうちいつでしょう?
1.1570年ごろ 2.1575年ごろ 3.1585年ごろ
正解者は先着順に 伊勢新九郎様 鬼庭良直様 長曾我部元親様でした。
また、答えは1番の1570年ごろでした。

第六十八問

魯粛を東城の県長にすえたのは次のうち誰でしょう?
1.王朗 2.袁術 3.劉ヨウ
正解者は先着順に 上杉景勝様 司法卿 江藤新平様 松平信康様でした。
また、答えは2番の袁術でした。

第六十九問

遠江の土豪天野氏の居城は次のうちどれでしょう?
1.堀江城 2.犬居城 3.頭陀寺城
正解者は先着順に 上杉景勝様 伊勢新九郎様 長曾我部元親様でした。
また、答えは2番の犬居城でした。

特別問題8

この問題は、今川国氏様からの出題です。
この中で仲間はずれは誰?
1.上杉謙信 2.足利義満 3.織田信長
正解者は先着順に 上杉景勝様 松平信康様 伊勢新九郎様でした。
また、答えは出家しているかどうかなので、3番の織田信長でした。

特別問題9

この問題は、今川国氏様からの出題です。
石山本願寺が降伏したのはいつ??
1.1582年 2.1578年 3.1580年
正解者は先着順に 伊勢新九郎様 前田利家様 上杉景勝様でした。
また、答えは3番の1580年でした。

特別問題10

この問題は、関東管領 真田昌幸様からの出題です。
立花宗茂の嫁は誰でしょうか?
1.明千代 2.銀千代 3.闇千代
正解者は先着順に 前田利家様 上杉景勝様 司法卿 江藤新平様でした。
また、答えは3番の闇千代でした。

第七十一問

姉川の戦いに従軍し、家康の十男頼宣の付家老に
なったのは次のうち誰でしょう?
1.大須賀康高 2.植村家政 3.安藤直次
正解者は先着順に 伊勢新九郎様 前田利家様 上杉景勝様でした。
また、答えは3番の安藤直次でした。

第七十二問

劉備の代におくりなを送られたのは次のうち誰でしょう?
1.関羽 2.ホウ統 3.法正
正解者は先着順に 前田利家様 鬼庭良直様 上杉景勝様
また、答えは3番の法正でした。

第七十三問

三方ヶ原の戦いのとき家康に退却を勧め、
身代わりになって討ち死にしたのは次のうち誰でしょう?
1.夏目吉信 2.酒井重忠 3.米津常春
正解者は先着順に 伊勢新九郎様 前田利家様 鬼庭良直様 でした。
また、答えは1番の夏目吉信でした。

特別問題11

この問題は、関東管領 真田昌幸様からの出題です。
立花宗茂は秀吉にある人物と一緒に西の宗茂。
東の○○と評されましたが、ある人物とは誰?
1.黒田官兵衛 2.島津義弘 3.本多忠勝
正解者は先着順に 前田利家様 上杉景勝様 みつひで様でした。
また、答えは3番の本多忠勝でした。

特別問題12

この問題は、関東管領 真田昌幸様からの出題です。
源平合戦において平敦盛を討ち取ったのは誰?
東の○○と評されましたが、ある人物とは誰?
1.熊谷直実 2.那須与一 3.源義経
正解者は先着順に 前田利家様 みつひで様 上杉景勝様でした。
また、答えは1番の熊谷直実でした。

第七十四問

曹操の父曹嵩に太王の尊称を送るよう命じたのは誰か?
1.文帝 2.明帝 3.献帝
正解者は先着順に 上杉景勝様 松平信康様 独眼龍政宗でした。
また、答えは3番の献帝でした。

第七十五問

石川家成は三方ヶ原の戦いで、次のうちどのようなことをしたでしょう?
1.伏兵により敵部隊を破り、家康の退却を助けた。
2.大敗北を喫し、供の者二、三名と逃げ帰った。
3.戦いに参加しなかった。
正解者は先着順に 前田利家様 みつひで様 鬼庭良直様でした。
また、答えは3番の「戦いに参加しなかった。」でした。



第七十六問

公孫淵は魏軍が攻めてきたとき、まずどうしたか?
1.河の岸付近で防衛線を築いた。
2.襄平に篭城した。
3.本拠の襄平を破棄した。
正解者は先着順に 永蓮寺初二様 はいほー様 小烏丸様でした。
また、答えは1番の「河の岸付近で防衛線を築いた。」でした。


第七十七問

本証寺に『不入』権を認めたのは次のうち誰か?
1.松平長親 2.松平清康 3.松平広忠
正解者は先着順に 酒井忠次様 孫策様 みつひで様でした。
また、答えは3番の松平広忠でした。

第七十八問

唐彬が特に明るかったのは次のうちどれでしょう?
1.易経 2.詩経 3.書経

正解者は先着順に みつひで様 伊勢新九郎様 BREEZBAY HOTEL RECEPTION様でした。
また、答えは1番の易経でした。

第七十九問

菅沼定盈が1563年武田信玄に攻撃された時どうしたか?
1.徳川の本拠の岡崎城に急ぎ退却した。
2.信玄に降伏した。
3.戦ったが負け捕虜になった。
正解者は先着順に みつひで様 @様 独眼龍政宗様でした。
また、答えは2番の「信玄に降伏した。」でした。

第八十問

劉表の前任の荊州刺使は、次のうち誰でしょう?
1.張懌 2.崔寔 3.王叡
正解者は先着順に 酒井忠次様 伊勢新九郎様 maru様でした。
また、答えは3番の王叡でした。

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