歴史小説7

明智日向守光秀殿からの投稿

「マムシの親子」前章、『総括長良川』

1556年4月20日 A・M5:00ごろ
朝霧がたちこめる長良川河畔はまだ薄暗かった。
義龍軍は昨夜のうちにそこに陣をはっていた。
美濃斉藤家の家紋である「撫子」の旗が
川をさかのぼってくる春風になぶられて、無数になびいている。
遠くから見ればその光景は幻想的に写ったかもしれない。だが、
その下に待機しているのはおびただしい数の人馬の群。
戦争をするための集団だ。どの顔もにも、これから始まるであろう
合戦に対する緊張と不安が見られた。なんといっても彼らの相手は、
ほんの数ヶ月前まで仕えていた元主君、「美濃のマムシ」斉藤道三。
これまで彼らは彼の采配のもとで、なみいる強敵を幾度もうち破ってきた。
だが、今度はその道三が敵なのだ。
その義龍軍の対岸には「二頭立波」の旗がひるがえっている。道三軍の旗だ。
(父上、いや、道三は何を考えている?)
一段と高い場所に据えられた義龍軍本営、その床几に座していた義龍は、
林立する「二頭立波」の旗を穴があくほどにらみながら考えていた。
(信長が城を出てこちらに向かっていることは道三もおそらく知っている。
救援が来ると分かっている以上、籠城して援軍の到着を待つのが普通だ。
数に劣る軍勢で、わざわざ不利な野戦にもちこむ必要がどこにある?)
義龍の疑問はそこだった。並の相手なら、
「願ってもない!」とばかりにいっきに川を渡って襲いかかっただろう。
しかし―
(いや、道三は名うての戦上手、うかつに仕掛ければ罠にはまる。)
その思いが義龍を押しとどめていた。さらに、義龍は信長の北上に備え、
五千人ほどの軍勢を木曽川沿いに配置して置いたのだ。他にも、
稲葉山城の留居や、日和見を決め込んでいる豪族達を警戒するためにも
兵力を裂いているので、義龍軍総勢一万七千のうち今、
ここに集結している兵力は、せいぜい六千人といったところである。
それでも、二千七百人の道三軍のゆうに倍以上の兵力ではあるが、
相手はかつて自分が師と仰いでいた男である。油断は禁物だ。
(あるいは、これが策略か?ありもしない罠を見せつけることで
こちら側の渡河を遅らせ、信長の到着を待っているのか?
そして、こちら側の戦意が低下したところに、
前後から挟み撃ちにする手はずか・・・・・・・・・
いや、いかん!いかんぞこんなことでは)
義龍は先ほどから幾度もそんな根拠のない考えにとらわれているのに気づき、
あわててたった今脳裏に浮かんだ考えをかき消した。
だが、不安は山裾からこんこんと出行く湧き水のように
次から次ぎに浮かんできては義龍の頭を悩ませた。
「殿、」
傍らに控えていた日根野備中守弘就が声を掛けた。
「矢合わせの時刻ですが・・・延期なさいますか?」
彼も道三の策謀を恐れてか、声に弱々しさが感じられた。
(いかん、このままでは)
本気で全軍の志気が低下すると感じた義龍は、次の瞬間声高に叫んでいた。
「いや、矢合せは予定の刻限に行う。全軍、総渡河の準備を!」
「ははッ!」
日根野備中守は力強く答えると、一礼して退出していった。
ふぅ・・・・・。誰もいなくなった本営で、義龍は一人、
重く憂鬱なため息を吐き出した。
全軍にみなぎる緊張は頂点に達しようとしていた。
その緊張から解放されるときが惨劇の幕開け・・・
そしてその幕を開ける瞬間は、一人の男の手に握られている。
霧の向こうに見え隠れする道三の馬印を見つめながら、
義龍はゆっくりと握りしめた軍配を振り上げた。
(道三・・・参るぞ。この義龍の戦ぶり、とくとみるがよい!)
心の中でそう語りかけながら、義龍は思いのたけをぶちまけるがごとく
イッキに軍配を振り下ろし、叫んだ。
「かかれぇっ!」
オォーッ!義龍が軍配を振り下ろすと同時に、
六千余の軍勢は鬨の声をあげ、一斉に渡河を強行した。
まだ冷たい川水を蹴散らし、人馬一体となって敢然と進むその姿は、
さながら一体の巨大な生き物のようだった。
全軍が川の中程まで達した時、川向こうから轟音と共に濃霧を切り裂いて
数発の銃弾が飛来した。足軽達が
糸の切れた操り人形(マリオネット)のようにバタバタと倒れる。
続いて無数の矢がほとんど義龍軍の直上から襲いかかってきた。
騎馬武者が雨のように降り注ぐ矢に撃たれて落馬し、
長良川の波間にもまれて消えてゆく。が、それでも義龍軍は進撃をやめない。
足軽達が恐怖の叫び声を上げ、興奮した軍馬が狂ったようにいななく。
ついに、両軍は対岸の川岸近くでぶつかった。
ぶつかる槍ぶすま、うなりをあげて飛来する矢、飛び交う銃弾、
交錯する怒号と悲鳴、川はたちまち惨劇のるつぼと化した。
道三軍は足場のしっかりとした川岸近くに踏みと
どまって足場の不安定な川中にいる義龍軍を懸命に寄せ付けまいとしていた。
それが劣勢の道三軍にできる唯一の戦法だったのだ。
その死にものぐるいの抵抗に義龍軍先鋒の竹腰道塵隊はやむなく後退、
さらに道塵自身は撤退する際に追いすがってきた
敵の騎馬武者の繰り出した槍に母衣を引っかけられて落馬。
そこにわっと群がってきた道三軍の足軽達に
あっという間に首を上げられてしまった。
「ええい、やんぬるかな!」
その様子を見ていた義龍は地面に軍配を叩きつけて悔しそうにうめいた。
それに対して、口元にかすかな笑みすら浮かべながら
同じ状況を見ていた人物が対岸にいた。道三である。
彼は悠然と床几に座したまま誰に向かって言うでもなくつぶやいた。
「あわれなことよ。今少し生きながらえておれば
よき仕合わせとも出会えたものを・・・。」
大将を討ち取られて完全に潰走状態になった竹腰道塵隊からただ一騎、
馬を返してくる騎馬武者がいた。
その武者は対岸の川岸近くまで進むと大音声で名乗りを上げた。
「我こそは竹腰道塵が家臣、長屋甚右衛門なり!
亡き主の敵討ちいたしに参上仕った。腕に覚えのある者は名乗り出られよ!」
その声に答えて道三軍の陣営から一騎の騎馬武者が
もうもうと土煙を上げてやってきた。柴田角内、
道三軍でも音に聞こえた猛者である。
甚右衛門も馬を進める。
二人は七間(約10メートル)の距離を挟んで対峙した。
霧はすでに晴れ、川中にいる二人は道三軍、義龍軍の両軍からもよく見えた。
誰もが固唾を飲んで二人の一騎打ちを見守っている。
次の瞬間、二人はほぼ同時に馬腹を蹴り、水を蹴立てて駆けだした。
裂帛の気合いと共に二人の槍が繰り出され、その姿が交錯する。
鋭い撃剣の音と共に、二人は二合、三合と槍をあわせた。
だが四合目に槍をあわせたとき互いの馬体が衝突して
長屋甚右衛門がバランスを崩した。そのスキを逃さず
柴田角内が甚右衛門を槍の柄で殴りつけて川中にたたき落とす。
慌てて立ち上がった甚右衛門が応戦しようと刀を抜いたとき、
そののどに角内の槍が突き刺さった。
「ぐ・・・あ・・・うぅぅ・・・。」
甚右衛門は声にならない悲鳴を上げながら
川中へゆっくりと崩れ落ちていった。角内が槍を天に突き上げて
勝利の雄叫びを上げ、道三軍からも歓声が上がる。
だが、次の瞬間それら全ての音を圧して轟音が川面にとどろき、
そして―
「ぐうっ!」
雄叫びを上げていた角内が突然苦しそうにうめき声を上げたかと思うと、
馬の上から滑り落ち、盛大な水しぶきを上げて川中へ転落する。
そして、甚右衛門と同じように波間へ飲み込まれていった。
この一騎打ちによって全軍の志気の低下を恐れた義龍が
部下に命じて彼を鉄砲で狙撃させたのだ。
その轟音の余韻もまた川中へと消えていった、
その次の瞬間、つかの間の静けさを取り戻していた長良川は
再び惨劇の舞台と化した。道三軍、義龍軍の両軍が全軍総攻撃に移ったのだ。
「退くな、退いてはならん!進めぇっ!」
形成我にあらずと見た馬上の義龍が必死の形相で叫ぶ。
その声に答え、足軽はつぎつぎにに川に飛び込み、
騎馬武者は川に馬を乗り入れ、義龍軍はがむしゃらに川を突き進んだ。
それでもなお道三軍は奮戦し、両軍一進一退の戦が
しばらくの間続いたが数の多い義龍軍はあとからあとから現れ、
しだいに道三軍を川岸から陸においやり、押し包んでいった。
川には散乱した武具や、破れた旗、そして無惨な死体だけが残された。
「いいぞ!かかれ、かかれ!一兵たりとも逃すな!皆殺しじゃあっ!」
義龍自身も馬を川に乗り入れつつ無我夢中で采配を振るった。
義龍の勢いはそのまま軍勢の勢いと化した。その勢いに、
かろうじて持ちこたえていた道三軍はついに総崩れとなった。
一度統率を失った軍勢はもろい。文字通りクモの子を散らす敵勢を、
義龍軍は追い回し、手当たり次第殺戮した。
その乱戦の最中、
長井忠左右衛門が次々と敗走する兵卒の中に道三を見つけた。
「斉藤道三入道とおみうけいたした!いざ尋常に勝負!」
名乗りを上げるなり忠左右衛門は槍を手に道三におどりかかった。
「忠左右衛門か!この首、とれるものならとってみよ!」
道三は不敵な笑いを浮かべつつ
忠左右衛門の鋭い一撃を槍の柄で受け止めると、
素早く槍を下から半回転させて忠左右衛門の足をめがけて下から突き上げた。
とても六十歳を越えた老人とは思えない見事な槍さばきだ。
「なんのぉ!」
忠左右衛門も剛の者である。足を一歩後ろに引き、
この一撃を穂先ではらいのけた後そこを起点に槍の石突きで
上からたたきつけるような一撃を逆に道三に放った。
身をかがめ、かろうじてこれをかわす道三。
息詰まるような攻防戦は果てしなく続くかのように思われた。
しかし、高齢な道三が戦いが長引くにつれて
不利になることは目に見えていた。そして、
息切れし始めた道三は、
忠左右衛門の槍の柄で横殴りにするような一撃を
なんとか受け止めた拍子に、ついに上体をぐらつかせた。
「すきありっ!」
その隙をついて忠左右衛門が渾身の槍を繰り出す。
槍は道三の胴に深々と突き刺さった。
道三の口から赤黒い液体がドッと吐き出された。
「さすが・・・よ、義龍、見事なてぎわ・・・道三の・・・まことの
・・む・す・こ・・・。」
その口から消え入りそうな言葉がもれる。
道三の目から、少しずつ光が失われてゆき―
「大殿っ、ご免!」
そこに後ろから小牧源太が後ろから飛びかかり、
首に脇差しを押し当てる。
頸動脈を切り裂いたとたん真っ赤な鮮血が噴水のように吹き出し、
うっすらと明けかかった蒼い空に舞い散った。あとには、
首のない道三の死体だけが残された。後に、
その首のことで長井忠左右衛門と小牧源太は
どちらが先に道三を討ったかを言い争を始め、
長井忠左右衛門が証拠として首から鼻をそぎ落としてしまった。
「敵の大将討ち取ったぁ!」
その声が血どろみの長良川に響き渡った。
オォー!とそれに答える鬨の声がいたるところであがり、血どろみのまま、
義龍軍の兵は肩を抱き合い、戦場には悲鳴にかわって歓声が満ちた。
それは、敵が殲滅された証でもあった・・・。
「終わった・・・。」
義龍はその声を聞くと、腰が抜けたようにぺたん、と地面にへたり込んでしまった。
(母上・・・長井道利叔父殿・・・やりましたぞ。)
義龍はそう心の中で呼びかけた。叔父の長井道利は
苛烈すぎる道三の恐怖政治に反発し、義龍をたきつけた。
母の浄龍院(愛芳野)は道三憎しの激情を抱き続け、
幼い頃から我が子に道三を殺すように言い聞かせてきた。
だが義龍にはわかっていた。これが誰のためでもない、
自分自身の戦いであったということが。
(俺は・・・父を倒した!父を越えた!)
その感動をえるために義龍は戦った。
国のためでも家臣や領民のためでもない、
土岐頼芸の子かどうかなどどうでもいい、ただ、そのためだけに・・・。
(なのに・・・このやるせなさは一体なんなのだ・・・・・?)
義龍の心のに空虚が生まれた。それは風船のように広がり
義龍の心を圧迫していく。
(俺は・・・俺はいったい何のために・・・・・。)
その時、すでに白み始めていた東の空から赤々と燃える朝日が昇ってきた。
血の色のような紅い日が地上の凄惨な光景を照らしてゆく・・・。
ところが義龍の座っている場所だけ、未だに暗いままだ。
「?」
ふと、えもしれない気配を感じ義龍は顔をあげる。
そこには道三が立っていた。義龍にしか見えない父の姿が
確かに目の前にあった。その姿が朝日を隠していたのだ。
義龍は心の中で今までに見たことがないほど悲しい顔をしている
道三の幻に語りかけた・・・。
(父上・・・これが我ら親子の運命だったのですか?
こうなる以外に道はなかったのですか?戦いの中でしか、
親子として心を交えることが出来なかったのですか!)
道三は答えなかった。ただ、悲しげな目をむけるだけで・・・。
だが、義龍にはそれで十分だった。今の二人の間では、
たとえ百万言を費やしても語りきれない
不思議なコミュニケーションが行われているのだ。
(父上・・・父上・・・父上ーっ!)
義龍は幾度もその名を繰り返した。そうすることしか
今の義龍には出来なかったのだ。もはや、取り返しはつかない。
それが分かっていても、義龍にはそうすることしか出来ない・・・。
それ以外には・・・何も。
長良川を揺るがす歓声にかすかな嗚咽が混じり、
川に沿って長々と尾を引いた。・・・長く・・・いつまでも・・・・・。

前章、完。


・・・いかがでしたでしょうか?私の処女作(?)の出来映えは?
今回お届けしたのは歴史に名高い←(そうか?)長良川の大合戦。
次回は少々時をさかのぼり、義龍が謀反に至るまでの経緯を描く予定です。
みなさんお楽しみに!





投稿本当にありがとうございました。

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