明智光秀 第四章

watanabe

1569年1月4日・・。三好三人衆・美濃浪人衆は
六条本国寺に攻撃を仕掛けた。本国寺内にいた義昭は、
外の世界にただならぬ気配を感じていた。
(なにやら外の様子がおかしい。これは一体・・。)
そう思っていた矢先だった。光秀があわてた様子で
義昭の元にやってきた。「義昭様!三好のものどもが、
本国寺を囲んでおります!」「何?!あやつら、
また私の命を狙いに来たか・・!」義昭の顔には、
少しあせりの、そして怒りの色が見えていた。
「義昭様、ここは私にお任せを!必ずや敵を蹴散らせて
見せましょう!」光秀はそう言うと、
美濃浪人衆と戦闘を始めた。それを聞いて、なんと義昭も、
「奴らめ・・・、許せぬ!馬を持てい!私も戦うぞ!」と言って、
馬に乗って刀を振りながら敵と戦闘した。
三好三人衆・美濃浪人衆は義昭たちの気迫に
押されていくばかりであった。さらに、「浅井備前守長政、
義昭様の加勢に参った!皆の者、かかれい!」と、
信長の妹婿・義弟である浅井長政までもが
援軍としてやってきた。もうたまったものではない。
三好三人衆・美濃浪人衆は本国寺から撤退した。
義昭は何とか魔手を逃れた。その後信長が豪雪の中、
驚異的な速さで本国寺にやってきた。本当は、
義昭の救援としてきたのだが、もう敵はいなかった。
「長政、光秀、誉めおくぞ。よくぞ義昭殿を守りきった。」
光秀と長政は信長に賞賛された。
光秀も義昭を守りきれたので一安心である。この年、
光秀は織田が支配していた京近辺の政務に当たった。
もう信長の家来当然と言えようか。そして光秀と同様、
京近辺の政務に当たっていた織田の将がいた。
木下秀吉-。後の豊臣秀吉である。光秀は秀吉に会ったとき、
信長からサルと呼ばれていた秀吉からも、
何か特別大きな力を感じた。・・・だがお互い、
後に天下をめぐって戦うことになるということは、
さすがに知る由もなかった・・。(明智光秀 第五章に続く) 





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