鬼道

濱野意忠殿からの投稿

家康は満足気に戦況を見つめていた。
本陣のある桃配山からは関ヶ原に展開する東西両軍の動きが良く分かる。
逃げる西軍と追う東軍。ここから見えるのはどれも後姿ばかりであるが、
それは圧勝ともいえるこの合戦の最終段階の光景でもあった。
総崩れの西軍は、布に染込む水の如く森の中へ消えていく。
「!?」
その時、家康の目は不自然な光景を捕らえていた。
必死で伊吹山へ逃込む西軍の流れが、
まるで川の中の岩に分けられる様に左右に割れている。
家康は目を凝らし、愕然とした。
敗走する兵士が途絶えた時、この関ヶ原において唯一こちらに向いている軍勢が
姿を現したのだ。
丸に十文字。島津軍である。


島津義弘は遠く桃配山から、家康の視線を確かに感じていた。
はっきり見える三つ葉葵の旗指物を眺めながら忌々しさと同時に、
戦国の無情さを痛感していた。
思えば、国許を出立する時には家康に付くはずであった。
九州統一を目前にして、豊臣秀吉に薩摩・大隅の二国に封じられた恨みは
忘れてはいない。
「これからは家康の時代」
判断は間違いではなかった。しかし、結果的に家康にソデにされたからには、
その二国の存続さえ危ういことは言うまでもない。
不本意ではあるが、少なくとも二国を保障してくれる豊臣に義弘は賭けた。
だが、その賭けは最初の段階から脆くも崩れていた。
当初、数の上では勝る西軍ではあったが、義弘は百戦錬磨の経験から
籠城戦を主張したにも係わらず、首脳陣に一蹴された結果がこの惨敗である。
義弘が石田三成の再三の出撃要請にも応じなかったのは、
敗軍の中にあっていかにして島津の存在を家康に認めさせられるかを
考えていたからである。
「伯父御。」
豊久の声で我に返った義弘は、もう一度自軍を見た。
出撃をしなかったにも係わらず、東軍の猛攻によって半分程度に減っていた。
しかし、残った兵士達は皆気力に溢れていた。
「よし。」
義弘は決断の声を発した。


島津軍が陣形を整えたのを見た福島正則は身を固くした。
楔の様な三角形の陣形だ。
「穿ち抜け!?」
朝鮮の役において、二十万の軍勢を僅か一万の島津軍が壊滅させた記憶が
正則の脳裡をよぎった。
握っていた拳に汗をかいているのが自分でも分かる。
その時、功名を焦る若い兵士が一歩前に出ようとするのを正則は制した。
「止めろ。怪我をするぞ。」
勇猛で知られた正則さえ、島津軍の恐ろしさには一目置いているのだ。
訝しげに自分を見る兵士に、正則は言った。
「よいか、よっく見ておけ。鬼島津と呼ばれた侍(男)の通った後には
累々たる屍の道ができる・・・。まさに鬼道ぞ。」
正則の険しい顔を見た兵士は、改めて島津軍に目をやる。
「チェストー!!」
島津軍が動いた。

おわり



投稿本当にありがとうございました。

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