流された人達
戻る
今川国氏
これは歴史全般なんで
戦国とはかぎりません^^
今回は天皇特集
三回流された天皇
それは外景天皇
この人は知られてません
何上皇かわすれたけど
怒られて三回ながされたんです
歴史の年表などでは登場しません
裏付けされてないんで
真田大助
〜宇喜多秀家〜
関ヶ原の敗戦後、彼は一族と共に島津氏を頼って九州に落ち延びました。
島津氏は徳川の「宇喜多主従を差し出せ」との催促にも出来る限り耐え、
秀家はそれに感激し薩摩藩の琉球併合の尖兵をかって出たりもしました。
ですが嵐にあい、あえなく失敗。やがて八丈島に
流されることになったのです。・・・・・・彼はそこで50年間を無為に過ごしました。
かつての家臣明石全澄などが旧主豊臣の下に参集した大阪の役すら
風聞で聞くしかなく・・・・・。
離島での生活は、妻の一族前田家から援助をもらっていても
かなり苦しかったようです。明治維新後、末裔達は新政府に許され
本土に戻りましたが、既に旧家どころが「旧」の二乗のような
古い一族の生活は苦しく、やがて離散してしまったそうです。
かつての五大老は各自色々な運命をたどりましたが、その中でも
最も悲しい運命をたどってしまった人だと思います。
俵藤太(猫)
流された・・・と言うべきか、はたまた自発的に流れていったと
いうべきなのか・・・。
和田氏を追い出し高槻城主となった高山右近ですが、
度重なる切支丹排斥運動により加賀前田家の客将、
さらにはルソン(フィリピン)島へと国外に去って行った
時の彼の心中はどんな感じだったのでしょうか?
投稿本当にありがとうございました。
戻る