宮本武蔵17歳は九州にいた!(かも?)
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皇武
宮本武蔵を語るとき、17歳の彼は関ヶ原の戦いの中に居たものだと
思われがちですが、どうもそうでは無いようです。
当時の武蔵は剣豪を父にもつ青少年(元服済か?)に過ぎません。
武士として足軽一兵卒にまで身をやつして合戦に参加しよう等と、
いくら血の気の多い彼でも父・新免無二斎の名を借りて、
陣借りかするか寄騎になろうと思うはず。だったら、
当の父ちゃん無二斎は何処に居たのでしょう?
行方不明になった訳ではありません。新免無二斎は、
豊前・黒田家の剣術指南として九州に居たのです。
もし、まだ武蔵が父に付いて修行中の身であれば、
黒田家の文献によると、関ヶ原の戦いと時を同じくした
豊後・石垣原の戦いに参加していた事になるのです。
先の戦いは、旧領回復を図る大友氏が、細川氏の飛地・杵築城を攻めたのを
黒田氏が救援したものであり、武蔵が細川氏と繋がるもととなったとも
考えられます。この直後に無二斎は黒田家を辞したと在るので、
ここから先の父子の足取りは判りません。
投稿本当にありがとうございました。