戦国時代の村
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ハム太郎

 我々が想像する戦国時代は華やかな合戦や
魅力溢れる武将の活躍などのイメージが強いが・・・では、
実際に戦場となった村々は、どのような状態だったので
あろうか・・・なのだ(?_?)我々は戦場となった村々を
実態を忘れがちではないだろうか・・・なのだ(?_?)
ここでは戦場となった村々を説明したい・・・なのだ(@_@)
@飢饉戦場
戦国時代における戦争は飢饉と深く
繋がっているようである・・・なのだ(@_@)
戦国時代の戦争は織田信長のように領土拡大または天下統一を
目的とする戦争の方が強い印象を与えているようだが・・・
実際は領土防衛または飢餓救済による軍事行動の方が
多かったようである・・・なのだ(@_@)
そして戦国における基本的な戦術は焦土戦術である・・・なのだ(>_<)
つまりは・・・戦国大名は他国に出兵する場合は支配する領域が
飢饉に見舞われている状態が多い・・・なのだ(+_+)
戦国時代は自然災害が多く・・・台風、旱魃、日照り、地震、洪水などで
日本各地が深刻な飢餓に見舞われていた・・・なのだ(>_<)
 そこで戦国大名は他国へ軍事行動を起こし・・・
村々に略奪行為を働くのである・・・なのだ(>_<)
雑兵等は略奪行為を行うことで国元の飢餓を
克服しなければならない・・・なのだ(・_・)
略奪の対象になるのは何も食糧だけではなく・・・牛馬などの家畜、
農具、家具、日用品、貨幣、衣服、樹木更には
住民などあらゆる物が略奪の対象となる・・・なのだ(+_+)
このように戦国時代における軍事行動のほとんどは
飢餓救済であった・・・なのだ(@_@)
 悲惨なのは略奪で被害を受けた領民である・・・なのだ(;_;)
田畠を荒らされ、財産を奪われた彼等の残された道は・・・
餓死か奴隷か・・・である・・・なのだ(;_;)しかしながら・・・権益を
防衛するため、戦国の村々も色々な方法で
自衛していたのである・・・なのだ(・_・)

A村の山城
戦国時代の村人は武装して防衛しているだけではなかった・・・なのだ(・_・)
彼等は山間部に村独自の城を築城して・・・
戦災が村に及ぶと山間部にある山城に避難
していたのだ(@_@)当然のことながらこのような村の城には
城主などは存在していないが・・・戦国時代には日本各地に
多数存在していたようである・・・なのだ(・_・)
 この民衆が共同で防衛する地域の城は小規模ながらも
武器、兵糧、飲料水、資材、薬品などが備蓄されていたに違いなく・・・
また山の尾根筋を削平して、空濠を設け、
柵や逆茂木で強化してものと思われる・・・なのだ(・_・)
当然のことながら他国の侵入軍が村の城に接近してきたら、
村人達は強く抵抗していたことは容易に想像できる・・・なのだ(・_・)

B領主の城に避難
これもあまり知られていない話だが・・・町や村人などの領民が
戦場となった場合・・・領主の城に避難する場合がある・・・なのだ(@_@)
戦国に限らず戦乱の世では、大名達には
領民の生命・財産を保障しなければいけない責務を
負わされていたのである・・・なのだ(・_・)
城に避難してきた領民を勝手に追い出すことは
出来なかったのである・・・なのだ(・_・)
従って領民が領主の城に避難するのは
当然だった・・・なのであるなのだ(・_・)
 しかしながら・・・篭城戦は悲惨である・・・なのだ(+_+)
何しろ数千人規模の領民が城に避難すれば多くの人々で密集し・・・
城内には領民を収容する施設もなく、飲料水は不足し、
兵糧も当然不足する・・・なのだ(+_+)
 更に冬季になれば薪などの燃料も不足してしまい・・・
酷寒から身を守ることも出
来ない・・・なのだ(>_<)また夏季の大雨または猛暑の影響で伝染病・・・
既に現代では、絶滅した天然痘やペストなどが流行ったかも知れず・・・
不衛生な城内は多くの人々が病死したと思われる・・・なのだ(>_<)
 例えば小田原城のように充分な兵糧、飲料水、燃料、
衛生設備が整備されていれば篭城した場合でも冬まで持ちこたえれば
勝利することは可能だが・・・いったん無理な篭城を強いられた場合は
城内で飢餓や疫病に襲われ・・・更に落城した場合など奴隷として
連れ去られてしまうのである・・・なのだ(;_;)

C制札と禁制
戦場となろうとする村や町、寺などが侵入する大名に金銭を支払い・・・
安全を保障してもらうことである・・・なのだ(@_@)
最も禁制を許可されたといっても・・・村や町、寺に侵入して
乱妨狼藉を働く、雑兵達は後を絶たない・・・なのだ(+_+)
そこで禁制を許可された村々は安全を実現できるか否かは
禁制を許可した大名の責任ではなく、村や町の防衛力で
委ねられていたのである・・・なのだ(@_@)当然のことながら
禁制を破って侵入してきた雑兵に対して制裁権は認められており、
大名から咎めは受けない・・・なのだ(@_@)
 そこで村々は武装して村を防衛する他・・・被差別人
(犬神人、河原者、非人)などの悪党とも言われた人々を傭兵として雇い・・・
村を防衛していたと見られる・・・なのだ(・_・)
彼等は京都では警察組織の末端で雇われており、
地方においては寺社、町、村などに雇われる一種の傭兵部隊でもあり、
武装した集団でもある・・・なのだ(@_@)
 
D総括
武田にしろ上杉にしろ大半の戦国時代の大名は飢餓救済の名目で
もとで軍事行動を起こしていたことは明白である・・・なのだ(・_・)
戦国時代の現実は我々が想像するイメージとは
かなりかけ離れていると言わざるを得ない・・・なのだ(・_・)
 また忘れてはならないのは豊臣秀吉の天下統一後に
頻繁に行われた大名の国替えである・・・なのだ(・_・)
国替えと聞けば大名の転勤と思う人もいるであろうが・・・
確かに大名の転勤には違いないが・・・国替えの前にして、
必ず行われるのは大名による略奪である・・・なのだ(>_<)
略奪を行うことで少しでも自分の懐具合を良くして、
転勤の費用を抑えようとする大名の苦肉の策である・・・と
思われる・・・なのだ(>_<)そして国替えを前にした領国では
略奪の後にあらゆるところで破壊行為が行われ・・・混乱に伴い、
一揆による暴動が発生し・・・地獄さながらの状況になることを
憶えておかなくてはならない・・・なのだ(@_@)





投稿本当にありがとうございました。