江戸時代が長く続く理由
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井伊直政

やはり、親藩,譜代、外様に分けたこと。
また武家諸法度を作ることで政治をうまく整えることが
できたと思う。

八幡太郎

親藩、譜代、外様に上手く分けた、それもありますが、やはり
@直轄領の多さ
A旗本八万騎と呼ばれた旗本軍団(幕末期には軟弱になりますが・・・)
B官僚制

だと思います。
徳川将軍が無能化してしまったのは周知ですが、
しかしそれが長く続いたのは上の三つと、
そして親藩譜代外様にわけた地方分権制でしょう。

まず@から。
豊臣政権、鎌倉幕府、室町幕府、律令制末期の王朝・・・
これら昔の政権に共通しているのが「直轄領の少なさ」です。
それがために結局経済的に余裕を失い、崩壊の道を歩んだわけなのです。
つまりそれは家康の叡智によるものなのでしょうねぇ・・・。

Aです。
江戸城下には常に旗本が駐在しており、
また町奉行制も安定していたため、首都の治安は結構良かったようです。
直轄地に旗本を置き常に警戒態勢を敷いていたので
直轄地の治安がよかったようです。
大塩平八郎の乱もそれがために鎮圧されたと言ってもよいでしょう。

Bでは。
地方分権をすすめる一方、中央の政権の安定も図らねば
室町幕府の二の舞になります。そこで登場するのが奉行などの「官僚」で、
彼らが諸大名を監視し、かつ幕府だけの利益を優先するように
すべてをはからったため、安定したのです。

また、室町幕府の管領のように功ある家が重役につくのではなく、
老中などを別の家から出していたのもよかったのでしょうか。

どちらにしても、関ヶ原で勝ったことによって家康が
諸大名に強権を行使できるようになり、
ひいてはのちの官僚たちが江戸幕府に都合のいいように
政治をしたのが長寿に繋がったのでしょう。

・・・それが「尊皇攘夷思想」にも繋がるのでしょうが・・・


長宗我部元親

4代将軍家綱の時代に由井正雪の乱など、牢人による騒擾を契機にして、
17世紀半ばに武断政治から文治政治に
幕府が政策転換したことが大きかった。
それは、戦国時代の余波を受けておこなわれた初期の弾圧的な政治から、
儒教(朱子学)などを基礎に徳をもって治めることで、
身分の絶対性を高めることになった。
つまり、身分の下の者から上の者への絶対的な服従を意味した。

そしてもう一つ、『えた』、『ひにん』という巧妙な身分制度
(ひいんが一番下の位で頑張れば町人になれる、
えたはひにんより位は一つ上だが身分は変わらない)を作る事により、
えたやひにんが互いに憎みあい、農、工、商の社会への不満の
捌け口になったことが、
江戸時代が長く続く理由の一つの原因となりました。





投稿本当にありがとうございました。