家紋の話し その1
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濱野意忠

家紋の発生については今更述べるまでもないが、
最近は特に家紋を意識する機会が減った様に思われる。
拙者も、最後に意識したのは15年も前の結婚式(神前式)で
紋付を着る時に、衣装係の方に「お宅のご紋は?」と聞かれて
「下り藤です。」と答えたくらいしか覚えていない。
拙者の妻は「うちは何だっけ?」などと、
慌てて実家に電話をしていた。
個人の人権や権利が重視される様になった現代では「家」
又は「一族」と言う意識がすっかり影を潜めている。
家紋は正に、その「家」や「一族」を示す印で、
武家社会では公式の場(平時・戦時を問わず)には
家紋を示した服や幟を必要とした。また、江戸時代、
登城する多くの家臣や大名を識別する為に家紋によって
「どこの誰が登城した」と、いわゆる点呼を執る
専門の係(役職)すら存在していた。
また、公式の場では官位等により服のどの位置に
どの大きさでいくつ家紋をつけなければならい
と言う決まりもあった。
これは何を意味するのだろうか。
個人識別はもちろんだが、家紋は個人のものでなく
「○○家」「○○一族」の者、つまり過去連綿と引き継いできた
一族の誇りを背負っていることを意味している。
現代人の感覚ではピンとこないであろうが、
昔の人々は個人のプライドと同時に自分の親や先祖が
命懸けで築いてきたプライドさえも背負っていたのだ。
例えば戦場において卑怯な振る舞いは
個人だけの恥ではなく、一族・先祖の恥でもあると考え、
勇猛果敢に戦ったのである。
話しを現代に戻そう。
拙者は、個人主義と一族を背負っていることの
優劣をつけるつもりはない。ただ、拙者が子供の頃に
よく両親に「そんなことをすると親が
笑われるのだから止めなさい。」と叱られたものだ。
その時、拙者は深くは理解できていなかったものの、
「自分のしていることが自分以外の人間にも
迷惑をかけるのだなぁ。」と、
何となく申し訳ない気持ちになったことを覚えている。
家紋の話しから少し脱線した様だが、
家紋と言う印にそう言った深い意味があったことを
この機会に思い返してもいいのではないだろうか。





投稿本当にありがとうございました。