信長と料理
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信長が二条城(だったかな)に上洛した時、三好家につかえていた料理人が
信長に料理を作らせたそうです。
最初、出てきた料理の味が薄く、信長は怒ってその料理人を斬ろうと
したんですが、次に出てきた料理が濃い味だったので
そのまま召抱えたそうです。

しかし薄味の料理は京都の一級料理で濃い味の料理は
三流の味で、料理人は「やっぱり、信長は田舎者だな」
といったそうです。


俵藤太(猫)

薄味の料理人を斬りそうになったエピソードですが、あれには信長の
公家社会への反骨のような物を感じます。
有名無実となっていた公家衆にとって武士は野蛮なものであり、
自分達に無害である者へは表面では恭順を示し、内心は「田舎者のくせに
いばるなよ」といった嘲りが多分にあったと思われます。
信長は京都を制圧した後も京都に居城をかまえようとはしませんでしたが、
これは自分自身や配下が貴族化して、甘い生活のうちに堕落するのを
防いだ物という解釈もできますし、商人の間で大流行した茶の湯に
はまっても、連歌や蹴鞠のような公家の遊びには興味を示しませんでした。
あと、歴史とは直接関係ありませんが、怪人二十一面相の容疑者と言われた
宮崎学氏の著書「突破者」において、京都の人間は閉鎖的で、
都に来た武家に豆腐をお湯で暖めて食べるだけの物を高貴な物と教え込み、
それ(すなわち現在も京都の名物の一つである湯豆腐)を喜んで食べる姿を
影で笑った・・・という記述があります。
これが事実かどうかはわかりませんが、公家衆の狡猾さを知っていた信長が、
京風=高貴といった当時の風潮を打開しようとしていたことの
現れの一つが「料理人斬殺未遂事件」であったと考えております。


風姿花伝

本能寺の変の前夜に、
公家と連歌を詠んでいたと言う話もありますね。


芳賀伊賀守高継

>料理人は「やっぱり、信長は田舎者だな」といったそうです。

 これに対する信長の反論。

「田舎者だろうがどうだろうが関係ない。
俺の好みの味が出せなくて『俺の』料理人が勤まるか」
 確か、上記のような意味のコメントを残しています。

 今考えれば、至極まっとうな言い分なんですが、
当時の武将は殆どが(しかも強大であればあるほど)
「京文化」への憧れ・コンプレックスを持っていたのは
皆さんもご存知の通りです。自分たちがそれを打破するだけの武力を
持っているにも関わらず...
 信長はよく「時代の先行者(といっても『アレ』じゃないよ(爆))」
と呼ばれていますが、そう振舞うことが出来た理由は、
「力あるものが『常識』を決めることができる」、
いわゆる「デファクト・スタンダード」(既成事実による標準仕様)の
考え方が判っていたからではないでしょうか。





投稿本当にありがとうございました。

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