武田信玄は、正室と仲悪かった?
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投稿者不詳

新田次郎さんのあの小説では、ああいう風に
描かれてたけど実際はどうなんだろうか、
かなり気になります

真田弾正忠幸隆

私は、武田幕府誕生を夢見た後生の人々が作り上げたストーリーであると思います。その根拠は信玄公の子供達が歩んだ生き方に関係あるのではないでしょうか。 正室である三条夫人は3男2女を授かっております。しかし、男子は生まれ順に自害・盲目・早死と運命に恵まれる事はなく、まさに悲劇のヒロインでした。信玄公は盲目である次男の龍宝公に自分の右眼を交換してほしいという願文に綴っている史料が残されています。 一方、長男の義信公はクーデター未遂により享年30歳で自害されております。時は流れての話しで、三条夫人が亡くなると信玄公は円光院にともらい、菩提寺に指定したとのことです。お二人に関わる遺品も円光院には伝わっています。正室との中は悪くはなかったと強く思っております。 一方、勝頼公の生母は、勝頼公が10歳の時死去しております。しかし、その間勝頼公しか子供は授かっておりません。勝頼公は武田が攻め滅ぼした家の娘のだったので家臣の人望は薄かったようです。勝頼公の時武田家は滅亡しています。もし、三条夫人の子供が家督を継いでいたら…という思いが膨らみ三条夫人を悪いイメージに導いたのかも知れません。 ちなみに、第三の側室である油川夫人も、3男2女をもうけておりますが、武田の家名をつぐものはいませんでした。




投稿本当にありがとうございました。