朝倉宗滴の予言
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濱野意忠
越前の戦国大名朝倉氏の一族武将・朝倉教景(のりかげ)、
出家して「宗滴」(そうてき)と号した彼は、18歳で初陣を飾ってから
没する79歳まで戦場に立ち続けたことで有名である。
彼の人となりは、今回省くとして・・・。
宗滴の実戦体験を語った語録が「朝倉宗滴話記」である。
その中の一節には、織田信長のことが書かれている。
(現代風に直しました。)
「今すぐ死んでも言い残すことはない。ただ、後3年は生きていたい。
遣り残したことや命が惜しくて言っているのではない。
織田上総介の行末をもう少しだけ見てみたい。」と、ある。
宗滴は弘治元年(1555)に没したのが明らかであるから
これを仮に死の直前に書いた物としても、この年は
織田信長が家督を継いだ天文20年(1551)から
まだ4年しか経っていない計算になる。
この頃の信長は、ようやく清須城の織田信光を攻めて
同城に入ったばかりであった。
百戦錬磨の朝倉宗滴の目には、織田信長が相当の
成長株に見えていたに違いない。
ちなみに、3年後ではなかったが、5年後の永禄3年(1560)
桶狭間の戦いが起こり、信長は今川義元を討っている。
うーむ。恐るべし朝倉宗滴の眼力・・・。
彼がもう少し若かったら、姉川の戦いはどうなっていただろう。
投稿本当にありがとうございました。