浅井長政は、大大名になるはずだった!?
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濱野意忠

織田信長の妹・お市の方を妻にして、織田家との同盟を結んだ
浅井長政。
その後、信長に反旗を翻し朝倉家と運命を共にする
悲運(?)の武将として有名である。
当時、信長と有効な同盟関係にあったのは、
徳川家康と浅井長政だけである。
しかも、長政とは「血縁」関係にあると共に、有能な武将として働けば、
一気にその前途は開けてくるはずであった。
羽柴秀吉が家臣団の中で一躍有名になった「金ヶ崎の退き口」での
殿(しんがり)軍の活躍も、長政が同盟関係を維持していれば、
無いものであった。
長政が、信長の娘婿として活躍していれば、
秀吉も史実の様な働きも少しは薄れていたであろうし、
いかに有能な家臣とて、同様に有能な血縁の家臣には
適うはずもない。
家康とて同じことである。
確かにそれまでの活躍は評価されるであろうが、
娘婿が必死の活躍をすれば
所詮「外様」として扱われてしまうのは明白である。
つまり、薄情と言われ様が、朝倉家を敵として
信長と共に行動していれば、信長の実子達に次いで、
その領地は巨大なものとなっていたに違いない。
今にして思えば、信忠の次くらいの扱いを受けていたかも知れない。
であれば、2〜300万石程度は貰えていたかも・・・?
うーむ。これだから歴史は面白い。





投稿本当にありがとうございました。