前田利家の越前・府中城
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斎藤道三

天正3年(1575)、柴田勝家の与力として越前一向一揆を平定した前田利家は、
府中10万石を佐々成政、不破光治の3人(府中三人衆)で
均等に分封される。かつては朝倉氏の奉行所が置かれていた
越前府中城3万3千石の城持ち大名となって入城して修築する。
天正9年(1581)、45歳になった利家が能登国20万石の城主となり
小丸山に移ると、旧領の府中は召し上げとなるが、
まもなく利家の嫡男利長が府中城を与えられる。
 関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)、結城秀康が
越前67万石で北の庄に入部すると、
家臣の本多富正に3万9000石を与えて府中に居城させる。
貞享3年(1686)、本藩松平氏が25万石に半減されると、
府中本多氏も2万石となる。その後8代を経て明治維新へと至った。
 現在では、武生市役所玄関脇に「越府城趾」の石碑だけが
かつて城があったことを示しているだけで面影は残っていない。
唯一、城の遺構として武生市内の正覚寺山門として城門が移築され残っている





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