藤原氏について
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真田大助

特に藤原史(ふひと)は当時最高の能力を持っていた政治家だと思います。
不比等(等しく比べ不る─他に比べて等しい者はいない─)と漢字を
当てたのも、当時としては当然のことだったのでしょう。
壬申の乱の折、天智側(大友皇子)に属していた為天武天皇の目が黒いうちは
おとなしくせざるを得ませんでしたが、その後歴史の桧舞台にさっそうと登場、
歴史書の改竄、天皇の神格化を更におし進め、やがて政略結婚で
天皇家と藤原の血をほぼ一つにしてしまいました。貴族(豪族)と
呼べるものには他にも菅、大伴、蘇我倉家、橘などがいましたが、
政略で全て葬って、あるいは無力化させていきました。四兄弟の呪殺死、
恵美押勝の乱、薬子の乱などで一時衰えてもすぐに復活、
後には北家の一人勝ちとなりましたがその系譜はいまにも伝わっています。
彼らをなくして日本史を語ることはできません。




投稿本当にありがとうございました。