本多忠勝に関するエピソード
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独眼龍 政宗

忠勝の愛用の槍蜻蛉切についてです。蜻蛉切は長さ2丈(6メートル)ほどで、
柄が太く、青貝をちりばめたもので、蜻蛉が飛んできてその穂先に
止まった途端、二つに切れたというのでこの愛称が有る。
武田家に初鹿野伝右衛門正備という武名ある侍がいた。
その伝右衛門がつねに人に語っていうには、「我が軍と徳川軍が三方ヶ原で
戦ったとき、本多忠勝が殿軍をして退くのを追い駆けて、これを
食いとめようとしたが、忠勝が蜻蛉切の石突の根元を片手に握って振り回し、
こちらを睨みつけた顔付は、鬼神もかくやと総身怖じ縮み、
とても傍に寄り付く事などできなかった。」とのことだった。




独眼龍 政宗


慶長十五年(1610)の春、二代将軍秀忠が田原に狩猟に
出かけた時の事です。忠勝は伊勢・志摩の水軍で知られた九鬼守隆と一緒に
連れられ、秀忠の側近くでこれを見物した。すると守隆が忠勝に向って
「見たところ、勢子は六万人ほどもいるでござろうか」と尋ねると、
忠勝は「いや、それほどではないでござろう。四万二千、三千に
過ぎないと存ずる」と答えた。守隆が腑に落ちなかったようで
「それがしの見るところとは、大変な違いがござりますな」と言うと、
「左様、高い山から平原に押し並べた時の人数は、小勢でも多く見え、
谷底のような低い場所に集まっている人数を山の上から見るときは、
多勢も小勢に見ゆるものでござる。今ここから勢子を打ち眺めたところ、
五万余と見うけられたので、それを少し控えめに見積もったのでござる」と
答えたそうだ。



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