北条家
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上杉弾正少弼謙信

北条家とは関東の名門であり、信玄・今川と三国同盟を結んだ事でも
有名であります。
さて、北条家と言いますと鎌倉時代の北条時宗等を思い出すと思いますが、
北条早雲〜五代続いた後北条家を紹介いたします。
初めに、鎌倉時代の北条家と戦国時代の北条家は全くの無関係でございます。

北条早雲は、小田原城を奪い取り三代目の氏康が関東一面に勢力を広めました。
氏康は、嫡男・氏政に家督を相続させ自分は隠居の身になりましたが、
政治等は口に出していました。
次男・氏照は北条家を代表する戦略上手で北条家の領土拡大をしたのも
この氏照のおかげです。
また内政面・指揮力なども大変優れていました。

だがそんな名門北条家の三代当主・氏康や死去すると氏政の下手な政治ぶりに
他国の大名は余裕でした。
そのなか、続々と敵を倒していく織田信長が本能寺にて自害。
秀吉が信長の跡継ぎとして北条家に襲いかかりました。
前田利家・上杉景勝総勢五万人の兵と秀吉の兵数万人
北条家の氏政・氏照兄弟が守る小田原城を包囲しました。
小田原城は、守りがたく関東一の城です。
過去に謙信・信玄が攻撃しましたが共に城を奪い取れないまま引き上げました。
謙信は、わずか一カ月で引いたと言われています。

そして、十カ月以上の包囲のすえ、小田原城を開城。
氏政は、自害し氏直は命だけ残されました。
この時点で、事実上五代続いた後北条家は滅びました。





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