小田原城

watanabe

  小田原城は、戦国北条氏の本拠。初代・北条早雲が、
大森氏より奪って以来、関東制覇の本営として拡張を重ねた。
第四代・北条氏政の頃には、城下町を囲む、
大外郭「総構」を備えた戦国随一の居城となっていた。
1590年、この城の主だった、北条氏政・氏直父子は、
秀吉に従おうとはしなかった。秀吉が太政大臣となり、
豊臣姓を賜って天下人になっていたにも関わらずである。
怒った秀吉は北条家が名胡桃城を奪取したことを理由に
宣戦布告する。秀吉からの宣戦布告に対し、
小田原城内では迎撃か、籠城かの方針が決まらないでいた。
結論が出ない論議を「小田原評定」と呼ぶ由来である。
そうこうするうちに、豊臣の大軍は小田原に到着。
小田原城攻略の準備を始める。上杉謙信・武田信玄ですら
落とせなかった堅城に普通の策は通用しない。
秀吉は北条方の城を落とし小田原を完全孤立化。
次に小田原西方3キロの石垣山に一夜にして
巨大な城を出現させる。豊臣軍は、
徳川・宇喜多・細川・毛利・池田など、
総勢十四万八千の精強ぞろいである。包囲は長く続き、
城に長くこもっていた北条氏は、戦いに飽きてきた。
小田原城は難攻不落でも、人の心が崩れてきたのである。
北条は降伏し滅亡。天下は秀吉の下統一された。
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