上田城

watanabe

  真田氏の居城。真田昌幸が築城した。
現在の長野県上田市にある。真田一族は、
この城に拠って二度に渡り徳川軍を撃退した。
一度目は1583年の神川合戦。二度目は関ヶ原の戦いの折、
1600年のことである。神川合戦は徳川家康が
沼田城を明け渡すよう要請したのを
昌幸が拒否したことに始まる。家康は圧倒的大軍で
上田城を攻めた。だが奇襲伏兵など昌幸の策略の前に
徳川軍は大混乱に陥り、家康は多数の被害を出して撤退する。
関ヶ原の戦いでは、真田昌幸、信繁(幸村)は
徳川に敵対した。これに対し、江戸から関ヶ原を目指していた
徳川秀忠は降伏を勧告する。昌幸は表向きで
降伏すると見せかけて時間を稼ぎ、裏で上田城での
篭城準備を進めていた。これを知った秀忠はたいそう怒り、
上田城への攻撃を開始したが、真田の伏兵に
本陣を奇襲され、混乱。上田城を攻めあぐねた挙げ句、
関ヶ原の戦いにも遅れるという大失態を演じた。
関ヶ原の戦いの後、上田城は徳川の手により
徹底的に破壊された。




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