有子山城

山名宗全

  但馬因幡の守護家山名氏の居城。
1569年に羽柴秀吉により但馬に侵攻され、
それまでの山名氏の居城である此隅山城は陥落し、
山名氏は逐電した。
後に今井宗久の仲介で旧領復帰を許され、
但馬へ帰ってきた。
山名氏は一度陥落された此隅山城を嫌い新たに
有子山に山城を作った。
これが有子山城である。
前の居城があった此隅山は子盗山とも書くので
有子山に城を造ったのが分かるだろう。
有子山の山頂に造られ地上との高さは300メートル以上。
通常は山麓に武家屋敷などがあるのだがこの城は
山頂で全ての機能を果たせるようになっている。
しかし、山名家が毛利家と通じた為に再度
羽柴秀吉の2回に及ぶ但馬征伐で落城。
山名家当主であった山名氏政は因幡に逐電し
山名家は滅んだ。
1604年に山麓に出石城が造られ廃城となる。
その後も詰城となり、保存状態は良かったものの
明治維新のときに出石城と共に取り壊されている。


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