立花山城
皇武
豊後守護大名・大友氏が築城し、南北朝〜戦国時代を通じて
筑前に措ける戦略的な重要拠点であった。商業都市・博多に近く、
その出城である名島城とを結ぶ防御線は、博多の東への陸海路を押さえる。
通常の山城は、近隣の山岳と峰続きであるとか、
丘陵程度の標高しかないと言うモノだが、
立花山自体は単独峰(標高367 m)である。
しかし、単独峰でありながら七つの峰が寄り添う様な山容を持つ。
七つの峰毎に砦が築かれたが、このなかで最も大きい物が御本丸、
それに次ぐ物は松尾丸と呼ばれた。この城を難攻不落としたのは、
山の東側から南側にかけての斜面の峻険さもさりながら、
登山口のある東側には大兵力の展開を阻む緩やかな谷間と
北側に配された出城群の存在。そして、
豊かな地下水源をも持っている点にある。
江戸時代に入り、黒田氏の筑前入国と共に廃城となった。
今でも福岡市の東部に自然の緑を繁らせて佇んでいる。
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